「2022年」の記事一覧

漫画:HUNTER×HUNTER 37巻 / 冨樫義博

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ジャパニーズピーポーの義務として、ここ数年は週刊少年ジャンプの電子版を定期購読しているため、もちろんHUNTER×HUNTERの連載再開を喜ばしく思っているのだが、連載再開前の話をすっかり忘れてしまっているという当たり前体操アクシデントに遭遇した。巷の情報によると、前巻にあたる36巻が出たのは4年前とのことなので無理もないのだが、とりあえず新刊の37巻を見ることに。

そうなんだよなあ〜!最新3話をジャンプで読んで文脈を思い出せなかったような人間が慌てて37巻見たからって、それよりも前の文脈を思い出せるワケもないんだよな。おかげで34巻あたりまで遡って状況を確認することとなった。

なんだか、HUNTER×HUNTERってもう「みんなが面白いっていうエンターテイメント」という概念が出来上がっているので、はいはいハンターハンターくらいの流行に流されている人間のノリをとってしまっていたのだが、いや、当然のようにハチャメチャに面白いんだよな……!話全体の情報量、会話の流れ、指示の狙い、悪手を取らされる各々のキャラクターの持ちうる性格や不安など、その1ページ1ページをめくるための工数がとんでもないことになり、たかが数巻遡って読み返すだけなのに3〜4時間丸かじりになってしまった。読み甲斐が、読み応えがある……!あと、ビスケとウェルゲー、テータちゃんと第四王子の恋物語(?)の行方も気になってたことを思い出したよ(??)

HUNTER×HUNTER 37巻 / 冨樫義博

37巻では、カチョウとフウゲツの片方が死んでしまったり、センリツが生来の人情によってやむを得ない選択をとってしまったり、ハルケンブルグやツェリードニヒの覚醒、複雑怪奇すぎるツェリードニヒの能力解説などなど見どころが多数あり、そんなことがあったなあ〜としみじみ読み返していたのだが、記憶にない話が1つ挟まってて二度見してしまった。カミィの施設兵である呪殺部隊関連の記憶が、まるでない……!!そんな話あったっけ!?!?過去のジャンプで見逃してた!?新刊読んでよかったあ〜!

王位継承戦に入ってから密室空間で数多の人間の思惑が入り乱れ、もうこんな大きな流れを制するのは個人の素質も、組織でもでは無理やろと思わされるのだが、だからこそ、最後に生き残る王子の「時流にうまく乗れた」という運が可視化されるのかな。最近の話では、幻影旅団とヒソカの因縁にまたフォーカスが戻ってきたようだし、やっぱ冨樫先生が執筆されている時代に生きてるってサイコーやな!と思わされる37巻だった。

読書:歴史学者という病 / 本郷和人

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東京大学史料編纂所にお勤めで、専攻は日本中世政治史・古文書学といういかにもな歴史学者の先生が、「歴史とは何か?」や「歴史学とは何か?」ではなく、「歴史学者とはどう言ったものか」、もっというと「本郷和人はどのような成り行きで歴史学者という病を患ったのか」という人生に焦点を当てた本。

歴史学者という病 / 本郷和人

今年読んだ中で一番、書き手の性格の粘着力を感じてビックリしちゃった。今の歴史学者としての立場に至るまでの恨み辛み、あと妬み嫉み、とりあえず全部書いときましたよ!みたい欲張りセットを、よくこんなにもオープンに書けたもんだな。とはいえ、年配の方ってそういう遠慮のないことするようになるよな〜という偏見が私の中にあるので、ある意味スッと入りはしたが、それでもこの本が面白いんだから、凄い力量だよなあ。

歴史学って大変だ。
まず数学のように答えが一意ではない、正確かどうかも分からない史料をひたすら、大量に読み漁るのは前提条件として、そこから深く掘り下げ、同志との討論で気付かされたり掘り下げたり対立したりて、鋭い気づきと深い思考ができるように、長い期間自分を飼わなければならない。
そして若者にも人気がない。学生からは「歴史は暗記一色なので面白くない」もしくは「歴史は暗記すればいいだけ」と思われている学問だが、なぜこのようなことになってしまったのか。歴史は数多の角度から物語を繋げる面白さもあるのに。それはおそらく、学生たちが読む教科書が、暗記するように出来ており、考えさせるような楽しみが見出せないからではないだろうか……みたいなことを考えられた大学教授の著者が、教科書を読む学生に考えさせられるような資料を作って高校教師に提出したところ、却下されてしまうという話も身につまされた。高校教師らに却下の理由と問うと、「全部覚えないとそもそも大学受験に受からないから」と返される。歴史を暗記ものにしたのは、我々の大学の在り方なのか?みたいな落胆は泣けるものがあるし、大学を卒業したその先にある社会というコミュニティや国家からは「ITと英語が使える即戦力」を求められるのも、「そうだよな…」ってなるもんな。
少なくとも、社会が学生らに求めるものとして、日本史などの優先順位は相当低いだろう。それでも学者たるもの、研究のためには研究費の予算が必要で、組織へのプレゼンテーションを覚え、後進を見つけて必死に育てなければ、歴史学の歴史も乏しいものになり……と、詰んではいないけれど、明るい希望が見えない世界なんだなあ……と思わされた。

それにしてもこの先生は、どうしてこの歴史学という分野に入ることになったんだろうか、という話については、本のメイン筋になるのでちょっと纏め切れないのだが(個人の人生は纏めて体形立てるものでもないしな)、以下、面白かった箇所のメモ。

・どうしても見せて欲しい史料があって、どうしても見せてくれない寺の住職をなんとか口説き落とそうと試行錯誤した結果、その史料が昔ブラックマーケットで入手した類のものかもしれない……という噂が檀家から入ってきたところ。知らない方がいいこともある類。
・歴史とは、誰しもその物語性に魅入られて始めるものだが、学者として、また科学としての実証性を求めるにあたり、大好きな歴史の物語性を敢えて捨てなければ進めないという最初のくだり。
・歴史というのは、その時代を代表する偉人やエリートだけで構成される世界ではなく、それを支えた当時の民衆を含めて「みんな」というもので出来ている。
・若い頃、著者がゼミで政治的な活動をする人を追い出していたら、今度は就職希望先に追い出した「左」側の人々を多く見かけて「終わった……」と思ったところ。
・お世話になった先生が、民俗学の柳田國男のお弟子さん(また柳田國男御大!?ここ一ヶ月で3回くらい唐突に名前が出てきているんだけど!?)
・著者の配偶者である方の「サステナビリティ(持続可能性)は、答えを出してはいけないもの」であるという指摘。これは分かる。正解を出すと、そこで終わってしまうことってあるな。一意の答えしかないものはそれで良いが、解釈や考え方、数多の視点によって、その考察や仮説を未来永劫深め続けていくことはできる。ある意味、これが永遠の美の残像なのかも。
・根源的な死への恐怖、美への尽きぬ憧れ。時代の風化にも耐え抜く超越的な仏教美術に見せられ、それが歴史への興味につながること。美という存在を、死の恐怖を乗り越えるための軟膏として受け止めていたことに気づき、恋愛も美も、生きた証を空間に残すことなのだと考えたところ。誰しも善いものは永遠であってほしいし、永遠に続く限り、その善いものから影響を受ける人間が後々にずっと続くのなら、その流れの一つであった甲斐もあるもんな。
・歴史学のマネタイズの在り方について、唐突にPodcast番組の『コテンラジオ』(歴史教養系番組)について最後の方で言及していたの、めちゃくちゃ面白くてウケてしまった。著者の先生、コテンラジオの共同作業者なんだ!?

雑談:皆既月食と天王星食の天体ショー、八神庵の「月を見るたび思い出せ!」

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いつものようにYoutubeを流しながらTwitterを見ていたら(まるでダメ)、タイムラインが赤みがかった月食の写真と「イクラ撮りました」のツイート一色になった。一色?二つだから二色か?ともあれ、そういえば何百年ぶりかの天体ショーであるらしい。レアなようだし、とりあえず見ておくか〜の気持ちで外に出て、久しぶりの天体観測を体験することができた。

惜しむらくは、今回は「皆既月食すご〜い!」って気持ちの昂りまで、自力で持っていけなかった点について、反省してしまったことだろうか。
こういう「すごい」ものを見る時(例えば海辺で陽が落ちるのを眺める時もそうなんだけど)、外部の現象の希少価値や美しさを過大評価して、その現象に、自分の感情を勝手に動かしてもらおうと楽になりたがる傾向にある(私の場合ね)。
この瞬間のために労力を使うなりちゃんと準備をするなりで事前に期待を高め、いざそれを見た時に「10分はちゃんと見るぞ」という意志を固めて、目では情景を眺めつつも内側から湧き立つ感情を見逃さないようにしないと、なんというか「感動した」とかではなくて「見た!来た!勝った!」みたいなノリで秒でイベント終わってしまう気がしてならない。期待していたことの答え合わせと周囲への同調が全てになってしまうというか……。別にそれが悪いことではないのだが(ちゃんと思い出に残るし、思い出として数年後も思い返せるだろうし、盛り上がれる人が他いるのならばいい思い出になる)、独り身の私としては「もったいないことしたかも」みたいな損失回避の考えが頭に浮かんでしまう。こういうの、チャンスを掴む人は準備ができている人!みたいなノリで、そのタイミングに居合わせた自分がどういう心境であるのかもまた大事なのかもしれないなあ。

というような感じで今日の私は、情緒の私よりもオタクの私が勝ってしまい、「写真撮ってTwitterに流したろ」「八神庵は月を見るたび思い出せ!って言ってたなあ、多分いおりんの方がまだ情緒性があるぜ」「あの月を見ていたらお前が来るような気がしてな…」という感想で締めることになる。なりたかった大人の姿か?これが?

雑談:マトリックスについて

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Youtubeを見ていたら、急にオススメに出てきたこの動画を見ていた。

「マトリックス3部作」は何の話だったのか?/ ネオはなぜ強い?/ マトリックスは「ウィンドウズアップデート」の話?

「マトリックスはWindows Updateの話」「現実世界でもネオが超能力みたいな干渉をしたのは無線(WiFiとか)で機械に干渉したから」「スミスが暴走しちゃったからネオは機械と手を組んだが、厳密にいうとこういう問題があったから」などなどの色んな考察が出てきて、それを見ながら「マトリックスってそういう話だっけ!?!?」と100回くらい呟いてしまった。
もちろん個人の考察によるものなので、エヴァの深読み考察を見ているのと同じだとは思うが、マジでマトリックスそんな話だっけ?まるで覚えてないぞ。

マトリックスは示唆に富んだ描写が多々出てくるSF映画なのだが、私にとって印象深かったのは、マトリックスという仮想現実を動かすシステムプログラムが語ったその世界観になる。かつて人間と機械の争いがあり、それに勝利した機会は人間を生ける電池として利用することにした。捕えられた人類は培養液を通して機械に接続され、その意識をマトリックスという仮想現実に集約される。そして、そのマトリックスは、この電力を長らえさせるため、試行錯誤を行なってきた。うろ覚えの意訳なのだが、「マトリックスの最初のバーションでは、この仮想現実は完璧な理想郷だった。しかし完璧を人間は受け入れない。やむなく不完全さを取り入れ、少しずつ不合理に、不完全に、そして選択をさせることで、大半の人間がこのマトリックスに順応した」みたいなことを言っていたと思う。人間は完璧を求めながらも、完璧であること自体には苦痛を感じる。これなんだよな。私も、人間は「間違ってもいいから、自分がコントロールしているという実感」が欲しい生き物だと思う。完璧な世界は自分ではなく外部がコントロールしている状態である。それを受け入れさせられ、かつ完璧だから直しようもない、壊すこともできない、それが苦痛でマトリックスを拒否するというは納得できたなあと。

「マトリックス」「すべてがFになる」「ユーフォリア」などなど、世には仮想現実をモチーフにした作品が色々あるけれど、こういう擬似的な世界を介して登場人物たちがどういうアプローチや解釈を取り、人間の生きる上で不可欠になる要素を何と定めて結論とするのかを見るのは、大変楽しい。またマトリックスシリーズ見直してみようかな。

漫画:マンガ日本の古典(25) 奥の細道 / 矢口高雄

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先日に引き続き、松尾芭蕉の「おくのほそ道」を題材にした学習漫画のシリーズを見て行こうと思う。

▼前回

漫画:松尾芭蕉 (コミック版世界の伝記) / 瑞樹奈穂、伊東洋漫画:松尾芭蕉 (コミック版世界の伝記) / 瑞樹奈穂、伊東洋

著者の矢口高雄先生は『釣りキチ三平』などで知られる有名な漫画家で、恥ずかしながら私はその漫画を読んだことはないものの、自然描写がメチャクチャ上手く描かれる方だというのは知っていた。その先生が自然の中を旅しながら句を創作する芭蕉の伝記を描いていると聞いて、「これは見たいヤツだ……!」と手に取った次第である。

マンガ日本の古典(25) 奥の細道 / 矢口高雄

漫画だからスラスラ読めるよね✌️と舐めたことを思っていたら、一コマ一コマに収められた矢口先生の緻密な風景描写と、執念すら滲み出る時代背景の情報量で、めちゃくちゃ時間がかかってしまった。

まずは初っ端の見開きページ、夕暮れの山里に対する超絶技巧の風景描写の細かさで殴りかかられて、その緻密な筆の運びに「おっと……?これは随分と情報量が多い漫画になりそうだぞ……?」という心構えを一旦させられることとなる。この漫画は週刊連載のスピード感で出されるものだとは思わないけど、松尾芭蕉の生い立ちを1冊の漫画にまとめる構想を練る時間や取材なんかも必要なわけで、その上でこんなにメチャクチャに手間がかかる風景を頻繁に描かれたりなんかしたら、その、工数は大丈夫なんですか?いろんな意味でハラハラさせられてしまった。

元々、矢口先生は中学生の頃に俳句を嗜まれており、奥の細道にゆかりのある秋田県出身ということで、「マンガ日本の古典シリーズ」の企画が持ち込まれ際には一も二もなく「奥の細道」に飛びついたとのこと。松尾芭蕉や奥の細道に関する大量の参考文献を読み漁り、自ら取材も行い、先生曰くたっぷり4ヶ月かけて(矢口プロ総出でも4ヶ月で終わるような作業工数に思えないが?)、この漫画を描かれたそうだ。先生の画力もさることながら、松尾芭蕉への思い入れがびっしりあるんやろなと思わされる註釈のや解釈テキスト、しかし重要なところは、文字ではなく絵をもって松尾芭蕉が見た風景を可能な限り再現しようとする執念、「これは力作……」と思わされる作品でした。

この漫画一冊では尺が足りなかったようで、残念ながら山形の道中で締められているのだが(母の故郷の鶴岡の一歩手前であることが惜しまれる)、私がお気に入りの「五月雨を集めて早し最上川」に関するエピソードや、月山周りの情景も細やかに描かれていて大変満足だった。また、前に見た松尾芭蕉漫画の感想で「閑さや岩にしみ入る蝉の声、のセミの分類について、後世の歌人たちがバトったことがある」という覚え書きをしていたが、この状況の説明が普通に入ってたところも面白かったな。句の推敲についてや、「おくのほそ道」の創作(フィクション)としての面も言及されていて、きちんとした下調べが見えて好感が持てた、よい伝記漫画だったと思う。