読書:スマホ脳 / アンデシュ・ハンセン

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

いろんな書評サイトで話を聞くので、もうすっかり読んだ気になっていたが、読書の履歴を遡ってみると全然読んでなかったことが発覚した本の一つ。現代人はスマホの利用時間が多過ぎて、「ブルーライトから生じる体調不良」「他人と比較する癖」「中毒性と依存症」「これら複数の原因から生じる悪影響によりみんな不幸に!」みたいな話の本だと認識しているが、実際はどうなのか。いざ鎌倉!

スマホ脳 / アンデシュ・ハンセン

大体そういう認識で大丈夫な本だった。小話も色々あるが、さまざまな本でよく聞くネタ(マルチタスクはダメだよとか運動すべきだよとか)や、本が出てから数年経った今となっては例えに失敗している話(マシュマロテスト)とかも出てくるので、そこまで新しい知見はないかなあ……。と思いはしたが、改めて思い返すと面白い紹介もあったので、以下メモ。

・強いストレスが生じていると、海馬から信号を行き来させる余裕が脳にないため、長期保存される記憶が作られにくい。強いストレスにさらされた時期は、後から振り返ってみると、あやふやな記憶になりがち。

・今の時代のように衣食住に恵まれていなかった環境下では、周囲の環境を理解するごとに生存率や繁殖率が上がった。新しい食料源、新しい危険、新しい知識、そのような未知の情報を渇望するドーパミン産生細胞が人間にはあり、この欲求が人間を行動させて、新しいものを手にいれさせる。人は、その新しいもの手に入れた時、脳の報酬システムから快楽を与えられる。そして、現代には、この新しいものの情報(ニュース、SNS、広告)は洪水のように勢いよく流れており、しかもワンタップで即座に与えられる。これが現代ではSNS中毒、スマホ中毒の問題になっている。(何かの中毒になっている場合、一日あたり相当な時間と思考、行動をその対象のために費やされることになり、他に回せるリソースが貧弱になる)

・脳は「かもしれない」という期待が大好き。確かなものより不確かなものの方が、既知より未知のものの方が、ドーパミンによる報酬(行動をとらせる動機への刺激)が高く与えられる。

・対面では喋れないようなことも、ネットでは簡単に全世界へ向けて喋れたりする。その要因として、ネットの匿名性も挙げられるだろうが、対人対面ではないことも一つ挙げられる。ネットは相手の反応によるフィードバックを即座に受けない。つまり、職場の上司をこき下ろす時、己の愚痴に付き合う相手がどんな人間で、今の話題に対してどんな感情や表情をしているかを察知しながら、即座にフィードバックをして、咄嗟に話題のニュアンスを変えたり口をつぐんだりするものだが、そういった「自己検閲」がネット上の会話では働きにくい。こういったスキルも筋力と同じようなもので、使われないと衰えいくスキルなのかも。

・社会的地位は精神の健康のために重要

・やっぱマルチタスクはダメ。一つのプロセスに注意を向けることによって、「これは大事なことだ」と脳に通知し、海馬に長期記憶を作らせるに値するものだと訴えることができる。あまり注意を払わずに行ったことについては、記憶の固定化のハードルが上がる。スマホいじりながら授業を聞いていても、その場ではなんとなく分かってる気持ちにはなるけれど、明日以降には忘れているとかそういう話かな。あとマルチタスクによって、間違った場所に記憶が入ることもあるらしい。これがいちばん怖い話だったかも。認知が狂うってだいぶ致命的では?歳をとってきて恐れるものの一つが認知症なのよ。

以上。ちなみにこの本を読んだ後、続けて『最強脳〜スマホ脳ハンセン先生の特別授業〜』みたいな本も読んだのだが、「運動しようぜ!運動は脳にいい!」という話でした。わかってはいる、運動が大事だってことは分かってはいるんだが……!(わかっていない)

読書:ヒッタイトに魅せられて / 大村幸弘、篠原千絵

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

学生のころ、日本の女子高生が紀元前14世紀のヒッタイト帝国にタイムスリップしてなんやかんや成り上がる少女漫画『天は赤い河のほとり』を読んでいたことがあったので、この本を見たときは「ヒッタイトか〜懐かしいな〜」くらいの気持ちで手に取ったのだが、その『天は赤い河のほとり』の著者・篠原千絵先生と、実際にヒッタイトの周りで発掘を行なっている日本の考古学者・大村幸弘先生の対談本であることが発覚し、びっくりして読み進めてしまった。な、なぜ今になって?漫画が無事完結してから10年以上は経っとらんか?とは思いはするものの、対談本の合間に挟まれる篠原先生の絵柄に懐かしさでいっぱいになってしまうなどした。天は赤い河のほとり〜!私に、悪女とラムセス二世と予防接種の大切さを教えてくれた漫画!

ヒッタイトに魅せられて / 大村幸弘、篠原千絵

本を読み進めて、すぐにビックリしたことなんだけど、ヒッタイトって今のトルコの位置にあたるんだ。……エッ?ということは、2023年2月に起きたトルコ・シリアの大地震でトルコの遺跡も相当被害に遭っているのでは?ということに気づいてしまい、大変ハラハラしながら読み進めることとなった。

以下メモ。

・まず、日本がトルコの遺跡の発掘権を買ってデカめの施設を建てていた(アナトリア考古学研究所)ということ自体が初耳だったので、海外の遺跡の発掘調査するって本当に大変なんだなあ……という当たり前の感想が浮かぶ。トルコ大学の重鎮の先生方や、日本の皇族の殿下のお力がなければ、トルコからの信頼を得たりすることも、発掘費用を集めたりすることもできず、遺跡の発掘権を得ることができない。確かになあ。海外の考古学者が単身で乗り込んで遺跡発掘なんていうことはできないよなあ。他国の遺跡を発掘しようとすると、政治的な交渉と現地の理解が欠かせないらしい。また、遺跡発掘を進めるにあたって現地住民を大量に雇う必要があるらしく、雇用問題も起きるとのこと。

・対談者である大村幸弘先生は、考古学者としての己の目的のみでこの遺跡発掘を行おうとはせず、長期的に次世代の若手を育てるためであったり、動物考古学や地学、保存修復、形質人類学等といった他分野の学者との交流を図るためであったり、また現地の住民の雇用を生んだり、現地の子供達に直に歴史の欠片を触らせたりと相互理解に努めつつ、四苦八苦しながらさまざまなアプローチを試みておられる様子。エッ素晴らしいな…。

・漫画『天は赤い河のほとり』の男主人公のモチーフになった人物、ヒッタイトの王・ムルシリ2世のペスト祈願文書の解読が、漫画の連載終了にできて、内容が「神々にペストをなんとかしてくれという祈願、悪いのは父であって私たちではない、なぜ私がその罪を受けねばならないのか」みたいな切々と神に哀願したものだったので、著者が「これを連載中に知っていたら少し情けない性格にしてたかもしれない」的なコメントをしていて、笑ってしまった。

・でも、隣国のエジプトは「俺ことファラオが神!ファラオは絶対!」というような文化なのに、この文化的な違い(ヒッタイトでは、王であるこの身は人であり、神々に希う下々のものであるという自覚が王にある)は確かに面白い。考古学者の先生は、「エジプトの遺跡は黄金のマスクとか金銀財宝とか出て、それを元にエジプト展とかで集客できるのに、ヒッタイトは粘土板や土器ばっかり出て地味です」みたいなのも涙してしまった。確かにな……。製鉄や粘土板の話は聞くが、ヒッタイトやトルコから派手なものが出たって印象はない。

・意外だったのは、トルコといえば黒海にも地中海にも面していてユーフラテス川もあるのに、水資源とは関係のないバチバチの山岳地帯にヒッタイトの首都があったらしいこと。なんでよ?という疑問に明確な答えはないのだが、山岳地帯は強い風が吹く→製鉄に必要な1000度を超える高温の火を用意するのに風を用いた?みたいな仮説が出てきて、ちょっと興味深かった。

・あと、ヒッタイトの首都、冬はマイナス15度になるくらい寒いらしい。エ!?エジプトの近くってんで、てっきり年中温暖な気候だと思っていたが!?

・欧米の学者たちはやっぱり強い。歴史もある。余裕もある。世界中の小麦のサンプルとかを持っているので参照力がある。強い。

・ヒッタイト=製鉄技術でブレイクスルーを起こした連中ってイメージだったが、鉄はそんなに遺跡から出てきてないらしい。鍛治所も見つかってないとのこと。そんなバカな。じゃあなんでヒッタイト=鉄!ってイメージがあるんだよ、と思ったら、一応鉄にまつわる書簡(粘土板)みたいなのが遺跡から出てきて、「鉄の武器は今製作中なんで追々送りますよ」と記されていたことが確認できてたからっぽい。書簡(粘土板)は強い。

・カムメンフーバー先生とおっしゃる方が、来日されて、奈良のお寺の仏像のそばにあるサンスクリット文字を見て「これはインド・ヨーロッパ語族、つまりヒッタイト語とも結びつきがある」とコメントしたくだりは胸を打たれた。世界は繋がっとる…!

・最終的にヒッタイトは、海の民に滅ぼされた、天災があった、病疫や飢餓があったなど諸説あるもののこれといった原因が特定できないまま滅びたわけだが、漫画を描かれた篠原千絵先生は、その滅びた後である現在のトルコの遺跡の荒びを見て、「最終回のシーンはこの風景だ」と連載前から決めていたらしい。篠原千絵先生、自分の漫画のことはさておいて、ずっとヒッタイトに関する質問を考古学者の先生に投げ続けており、本当にヒッタイトに魅せられていたんだなあと思えた。今はオスマン帝国の漫画を連載中であるとのこと。機会があったら読んでみたい。

以上。昔に愛読していた漫画を思い出してとても懐かしかったし、考古学・遺跡発掘の知見を得ることもでき、めっちゃ面白い本でした。

漫画:違国日記 1〜10巻 / ヤマシタトモコ

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

最近Twitterでよく推されているところを見る漫画。機会があったので、どんなストーリーなのか見当もつかないまま手に取ってみることに。

違国日記 1〜10巻 / ヤマシタトモコ

姉夫婦が事故死したことがきっかけで、人見知りの30代半ばの主人公・高代槙生が、残された姉夫婦の子供であるところの姪っ子・田汲朝を引き取ったところから始まる漫画。歳も離れていれば、性格も大きく異なる二人の交わらなさを味わいながら、手探りの同居生活を始めていく感じ。

槙生はひたすら書き続けるという孤独を愛するタイプで他人が苦手、自立心があり、それらの特性を貸して少女小説の作家をしている。そんな槙生に引き取られた朝は、親を亡くしたりと言った背景こそあるものの、それ以外は特にやりたいことも明確ではないまま暮らしている。しかし、朝は、槙生とは異なり、明るく素直で対人とのやりとりも苦手ではない。

……な、なるほど?だ、大丈夫か?この手の漫画で「人見知りで孤独を愛する主人公」って、コミュ障っぽく見えるが大体リアルで合う友人知人は多いという謎のズレが最後まで気になって仕方ないパターンが多い気がするのだが……!と一抹の不安を感じながら読み進めていったところ、案の定主人公はだいぶ友達いるタイプの人見知りだったりした。まあ人間関係描写するタイプの漫画だろうからそれはそうだろうね……展開上仕方ないね……という納得はあるものの、キャッチコピーで押しられた造形と一致しなくて、キャラクター性が心にしっくりこないまま進んでしまった。

とはいえ、この手の漫画に求める人間関係的な要素(子供と大人の態度・亡くなった姉とのいざこざがずっと残っている主人公・交わらない人間関係の妥協点・理解と突き放し・需要の多そうな恋愛関係)を満たしており、十分に読み応えのある漫画で、とても面白かった。私が感情移入できるキャラクターが一人もおらんかったことが逆にメチャクチャ新鮮だったし、ずっと話の展開が気になって最新刊まで一気に読み切れた。色んな人が推す気持ちも理解できたし、新刊が出たらまた読みたいと思う。

読書:名画のティータイム 拡大でみる60の紅茶文化事典 / Cha Tea 紅茶教室

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

世界史系のコンテンツを見ていくと、紅茶・コーヒー・チョコレート・お砂糖=奴隷!植民地!コンキスタドール!という身も蓋もない連想ゲームをするようになってしまうのだが、それはそれとしてお茶文化にはロマンがあるよねというミーハーな気持ちで手に取った本。超有名なイングランドの貴族ものの海外ドラマ『ダウントンアビー』でも、たびたび貴族のティータイムという文化を見せつけてくれることで盛り上がったような記憶があるので(うろ覚え知識)、やっぱこの手の雅な文化は世界中どこ行っても憧れの武器となるのだなあ、としみじみ実感した次第である。

名画のティータイム 拡大でみる60の紅茶文化事典 / Cha Tea 紅茶教室

女主人は客を招き、すすめた通りに着席した客へ、笑顔でお茶のおもてなしをする。ティーフードに顔を綻ばせる少女、上目遣いで周囲の状況を伺う貴婦人、エチケットマナーを武器に社交する女性たち、目を光らせる使用人たち。茶会を通して財政状況、人となり、そして今後の見通しを見定めるこのコミュニケーション文化は、見目の良い装飾に彩られ、光景はさながら一枚の絵画のよう……みたいな、こういったご婦人たちのお茶の描写、なんだか知らんがめちゃくちゃ見覚えがあるぞと思っていたら、急に気づいた。これは、なろうの悪役令嬢系小説に出てくるヤツそのままの描写だ〜〜〜!道理で既視感しか感じなかったワケだ。悪役令嬢系、必ずといっていいほどお嬢様方のティータイムが出てくるもんな。進研ゼミで何度も見たやつだったか〜。とまあ、思わず本の意図しない方向に意識が向かいつつあったが、気を取り直して要約すると、そんなご婦人たちの様子を描いた名画の数々を紹介してくれるのがこの本である。

西洋のお茶文化の見目麗しさを楽しみ、まあ見覚えある絵画の一つや二つ出てくるだろうなと楽観しながら読んでいたところ、マジで見覚えがのある絵画が一つも出てこないまま終わってしまい、自分の美術における教養のなさにはビックリしてしまった。

ともあれ、そんな絵画たちの紹介を見つつ、それを描いた当時の文化(アフタヌーンティー、温室、東洋からの茶文化や茶器の輸入、女主人や客人のもてなしについて、茶会の社交や目的、家政のあり方、銀食器が象徴するもの、シノワズリー、砂糖、サロンなど)の詳しい説明を見ていくのだが、その度に脳裏に「これも、なろうの悪役令嬢系で見たことあるやつ…!」と不埒なコメントがよぎってしまい、なんだかもう本当に著者には申し訳ない気持ちでいっぱいになった。まあ、純粋にティータイムの文化を象徴する絵画やその背景を眺めるだけでも十分ニコニコできるので、西洋のティータイムにキラキラした憧れを感じる心を最大限に保ちながら(植民地や奴隷のことは極力思い出さない)、この本を読むのがよろしかろう。

読書:はじめての動物地理学 なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの? / 増田隆一

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

私がこの世で恐ろしいと思っている存在の一つに「人肉の味を覚えたクマ」があるわけなのだが(吉村昭の『羆嵐』を読んだばっかりに)、そのせいもあってか、この本のサブタイ「なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの?」に意識が引っかかってしまった。確かに北海道のクマ=ヒグマという認識ではあるものの(羆嵐、ゴールデンカムイの影響により)、ツキノワグマって日本のどこからがツキノワグマなんだ…?という疑問を持つにいたり、手に取ってみることにした本。

はじめての動物地理学 なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの? / 増田隆一

そもそも『動物地理学』ってなんだろう、虎は日本にはいないのは何故かみたいなヤツ?と大雑把な認識で読み始めたのだが、前書きの説明曰く「動物が、大昔から、地球上をどのように移動してきたか(パンゲア大陸移動説を含む、大陸の分割・結合による影響があり、その土地に適応しようとした種の進化がある)」「世界のどこにどのような動物が分布しているか」ということを考える学問らしいことが分かった。

サブタイにあったように、日本にあったクマの種類の分布を見ると、大雑把に「ヒグマ=日本では北海道にのみ生息し、以南の日本には居ない」「ツキノワグマ=北海道以外の本州・四国・九州に生息し、北海道には居ない」となる。この二種のクマは、津軽海峡でスッパリと分布が分かれて、これが何故なのか?という疑問に対し、動物地理学は以下のように推測を立てる。

・地球が氷期の時代に入ると、海峡が浅いところは、氷や諸々の条件で陸化して大陸同士が繋がる。世界的に見て、ヒグマは亜寒帯に生息し、ツキノワグマは暖かい地方に住むので、大陸がつながっていた時に、ヒグマは北の大陸側から、ツキノワグマは朝鮮半島を経由して、などと各々上下から入ってきて、温暖化と共に陸化していた箇所が海に戻ると分断されたのではないか?

・北海道と本州北端(青森県)を繋ぐ津軽海峡は、有名な動物地理境界線(ブラキストン線)がある。動物地理境界線(ブラキストン線)とは、その線を境目に、動物の種類が大きく異なるラインである。津軽海峡は、海底200mを超えるため、氷期でも陸化できなかったっぽい。よってヒグマは、氷期であってもこの線より南下して本州には辿り着けず、またツキノワグマもこの線より北上して北海道には辿り着けなかった。(正確にいうと、大昔のヒグマの化石が本州で見つかったこともあるが、縄文時代以降は発見できないため、本州に渡ったヒグマは絶滅した)

・よって、北海道=ヒグマ、それ以外の本州はツキノワグマが分布し、今に至ることとなった。

というような感じで説明できるっぽい。(ふんわりとした理解)

大陸の移動や、氷河期・温暖化の諸々の条件によって動物の分布や移動、進化や固有種ができるなどなど、確かにこれは「動物地理学」だ…!と納得ができて面白かった。

その他クマ以外の動物地理学の話題も多々出てきており、進化と変態の違い、寒い地方に住む動物の体躯が大きくなる理由、クジラは陸から海に戻った種でカバに近い説がある(ペンギンで見覚えのある流れ)、外来種の定義、パンデミックに至るまでなどなど、総じてどの話題も興味深く読める良い本だった。動物、植物、地理の地球史欲張りセットと言える。