「2022年11月」の記事一覧

読書:音読で外国語が話せるようになる科学 / 門田修平

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

音読に興味が出てきて、AmazonのKindleで関連図書を探していたら、こんな並びが出てきて笑ってしまった。

  • 音読で外国語が話せる容易なる科学 科学的に正しい音読トレーニングの理論と実践
  • 外国語を話せるようになるしくみ シャドーイングが言語習得を保身するメカニズム
  • シャドーイング・音読と英語学習の科学

音読 vs シャドーイング vs 音読&シャドーイング対決!普通に最後の本が一番強そう!

音読で外国語が話せるようになる科学 / 門田修平

と思いはしたんだけど、シャドーイングより音読の方に興味が湧いているので、先にこちらの本から手にとった。音読とシャドーイングの違いは、以下の通り。

・音読:視覚情報を音声に変換する(テキストを目で追って発声する。小学校の国語の授業でやったようなやつ)
・シャドーイング:聴覚情報を音声に変換する(英語の学習でよく見る、耳でネイティブの発声を聞いて、すぐに自分も真似するように発声で追いかけるやつ)

シャドーイングは英語学習にすごく効果的!そういう実験結果がいっぱい出ている!みたいな話をよく聞くが、音読に関しての知見はあまり見かけたことがない。
ノーベル賞受賞者の湯川秀樹が幼い頃に漢文の素読(音読)をさせられていたことが後々勉学に繋がったという話や、目でテキストを追うインプットだけよりは声に出して読むアウトプットを行った方が記憶に定着する、音読が出来ないヤツはそもそもテキストを読めていない(目で見ているだけで独自の読み飛ばしや読み方をしてしまっている)、あとなんか音読は脳トレに良い、というフワッとした知識しか覚えていないため、今回ちゃんと読んでみることにした。

この本がいうところの、外国語習得のキモは以下のサイクルを回すこと。

(1)インプット…大量に本を読んだり音声を聞いたりする(リーディング・リスニング)
(2)プラクティス…インプットしたものを脳内に定着させる。インプットとアウトプットのループで強化される。
(3)アウトプット…声に出したり書いたりする(スピーキング)
(4)モニタリング…学習状況を観察し、調整を行うためのメタ認知

このサイクル表を見て思ったんだけど、学習やスキルの習得っておおよそこの流れではないか?と思い至り、そこで一気に興味が湧いてしまった。今井むつみ先生の『学びとは何か』という本を思い出すなあ。どれも大事な工程だとは思うが、私はこの「(3)プラクティス」について興味が湧いた。五感からのインプットを受け、それをアウトプットするためには、途中で脳で噛み砕き、変換する工程がある。入出力を繰り返すことでその処理を高速化し、流暢にし、脳と身体に定着させ、自動化させる、このプラクティス効果が、サイクルのループ、つまり実践において重要っぽい。これについて音読が効果的である、みたいな感じである。なるほど。

また、この本では音読だけではなくシャドーイングの重要さも説いており、大変ためになった。視覚だけではなく聴覚も使い、違う感覚から多様な入力を行い、それぞれを脳内の違う回路で変換し、意味を一致させて声に出す。テキストを目で追っているだけでは外国語を喋れるようにはならないし、音声を耳で聞いているだけでは外国語の読み書きができるようにはならない。特に日本語は必ず母音が最後に来る言語だし、習熟していない外国語の「音声言語(話し言葉)」と「文字言語(書き言葉)」の言語処理には乖離がある。聞く、見る、話す、それぞれ違うアプローチで英語のスキルを習得し、コミュニケーションのため、そして自己表現のために習熟するには、両方を行うことが効果的である……なるほどなあ。

ちょっと惜しいかもと思ったところ。発声時にはパワーポーズが効果的だよ!(力強いポーズを取ると力強く、弱々しい姿勢でいると気も弱く、といったように、その人の姿勢やポーズに人は影響されるのだ!みたいな説)という話が出ていたが、確かパワーポーズの提唱者が「パワーポーズは効果がなかった、もう研究しない」というコメントを出していたような。訂正が間に合わなかったんだろうな。科学とはそういうことを繰り返すものだとはいえ、勝間和代さんの昔の本の傾向でもあるんだけど、やっぱトレンドの最新の学説を自説に取り入れてすぐ本にして出すってこういう怖さがあるかもしれない。

とはいえ、外国語習得のみならず、他の学習においても応用が効く、良い本だった。じゃあ次は、シャドーイングをメインにした本について見てみるか……と思ってスクショを見ながら気づいたんだけど、

全員作者が同じなんだが!?!?!?!?

漫画:松尾芭蕉 (コミック版世界の伝記) / 瑞樹奈穂、伊東洋

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昨日の「徒然草(ストーリーで読む日本古典)」を読んで、伝記ものの学習まんがも読みたくなったことと、松尾芭蕉の伝記ものの漫画が面白いって紹介していた人がいたような……という曖昧な記憶で手に取った本。
読み終わった後にちゃんと調べたら、その松尾芭蕉の伝記ものは『釣りキチ三平』の先生が描かれた別の漫画だったため、ネットで買いました。これはこれで後日読みたいと思う。

松尾芭蕉 (コミック版世界の伝記) / 瑞樹奈穂、伊東洋

ともあれ、私が知っている松尾芭蕉は、「閑さや岩にしみ入る蝉の声、のセミの分類について、後世の歌人たちがバトったことがある」「古池や蛙飛びこむ水の音、もおそらくこの人」「ギャグマンガ日和にパロられてた人」「俳聖」「奥の細道」「昔の歌人俳人は大きな旅をして名句を残しがち、多分この人もそのひとり」というだいぶ出典の怪しい認識しかなかったのだが、その偏った知識がこのコミック版でやさしく是正されてしまった。子供向けの本を読む際には「どこまで子供向けに改竄されているのか」という点がやや気になってしまうのだが(今年の6月に「英才を育てるための小学校「国語」副読本」という本を読んでいた際、ロックな生き様を見せた良寛の過去がマイルドな生き様に修正されていたのを見て泣いた覚えがある)、Wikipediaの紹介と照らし合わせた限りは、そこまで大きな違いもなかったと思う。「夏草や兵どもが夢の跡」も松尾芭蕉だったかー!

松尾芭蕉の大まかな経歴や、有名になった「おくのほそ道」の旅路、残した名句、そして当時どのような文化を築き、また人を驚かせたのかといった話の流れは掴みやすいし、適度に知的好奇心もくすぐってくるので、「おくのほそ道」を手に取ってみたり、その旅路の地理を調べてみたりしたいなあと思わされるような良い伝記漫画だと感じた。

私の母方は山形県鶴岡市の出身なので、その近辺にある最上川という河川にちなんだ「五月雨を 集めて早し 最上川」という俳句が詠まれたエピソードが出てきた時は、ちょっと嬉しかったな。「よく考えたらその句は聞いたことがあったし、親戚の家に行く時とかに、最上川は目視で見たことがある…ような気がする…多分!」とニッコリしてしまった。あと、地味に面白かったのが、この本でも出てきた句の推敲のエピソード。「五月雨を 集めて”早し” 最上川」は、どうやら最初に詠まれた時は「五月雨を集めて”涼し”最上川」だったらしい。そうか、詩人だもんね、言葉の推敲はするに決まってるじゃん…!といたく感動してしまった。(文章を何度も練り直すという意味の「推敲」の語源は、中国の詩人が、「僧は推す月下の門…推す…敲く…どっちがいいかな…」と悩み抜いていたところを漢詩のできるお偉いさんにぶつかって相談して、「敲くやろな」と返されたエピソードで出来たはず)

軽い気持ちで有名な歴史上の人物の学習まんがを読んだだけでも、こういう記憶の紐付けエピソードがいっぱい湧いて出てくるので、歳を取るのも悪くない……!そういう思いに至る、懐かしい伝記漫画でした。

読書:徒然草 ストーリーで楽しむ日本の古典 / 那須田淳、十々夜

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「まんがでわかる歴史シリーズ」みたいな、児童学習向けのコーナーでふとこの本を見かけ、そういえば徒然草読んだこと覚えないかも……と思って手に取った。

徒然草 ストーリーで楽しむ日本の古典 / 那須田淳、十々夜

表紙から見て、てっきり学習漫画だと思っていたんだけど、徒然草の著書・兼好法師の遠縁にあたる、オリジナルキャラクターの女子からみた兼好法師……みたいな感じの小説だったな。児童向けなので、文章はとても易しく、よくわからん時代の描写を視覚化するイラストも相俟ってか、スイスイ読めるのが助かった。いい時代!

兼好法師は鎌倉時代末期(1300年くらい)に活躍して、日本三大随筆の一つとされる『徒然草』を書いた随筆家であるらしい。もとは天皇に仕える官人でもあり、歌人の才も持つという、隠居した後も政治の相談など、人に頼られる人であったっぽい。本名は卜部兼好(うらべ・けんこう)とされ、吉田流卜部氏の系譜に連なり、政治の吉兆を占う神職の卜部家の元当主らしい。へ〜、うらべ……卜部…卜部!?!?

日本の古典を読んでいて、いきなりオタクの血の方が騒ぎ出すなんてことある?あるな……。

この本は「徒然草」というよりは、「嫁入りを控えたオリキャラの少女が、徒然草を書いた親戚のおじさんと少年2人と一緒に住み、その人柄や活躍などを観察することで、兼好法師がどんな人物であったか伝える」という創作がメインなのだけれど、徒然草についての語り草がとてもよく、いきなりブチ込まれた「卜部家」という経歴も相俟ってメチャクチャ興味が湧いてしまい、随筆としての徒然草も読んでみようという気になった。ストーリーで楽しむ日本の古典、よい学習シリーズだったな。

読書:反・幸福論 / 佐伯啓思

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かつて自分の遺伝子検査を行なったとき「幸福感を感じにくいタイプ」みたいな結果が出たことがあって、「これは最大幸福を目指すよりも、最小不幸を目指す生き方の方が、多分幸せになれるな……」と言う諦念を抱くことになり、私は人生であまり幸福感を追い求めないようにしてきた。快楽は普通に快楽として感じるので、何というか、一連の流れで、このままだと幸福感=快楽だと見做してしまう恐れに気づいてしまったと言うのが本当にデカい。美食による快楽(暴飲暴食)に走ったりガチャ課金をしてアドレナリン中毒に陥ったりと、幸福感の代わりに快楽を追い求めると言うヤベー方向に走る可能性が大いにあることを自覚してしまったのである。本当に恐ろしいな!

そんなわけで、幸福感(多幸感)はあきらめ、自律による満足感を幸福とする私が、『反・幸福論』と言うタイトルの本を慰め代わりに手を取るのは必然であったのだ……たぶん……(多分)

話は変わるんだけど、軽い遊びの気持ちで遺伝子検査やった結果、「あっこれ、幸せに満ちる云々のハードルは、私にとって身体の素養の問題であって、精神論でどうにかなるもんじゃないんだな!?」と意外と人生の根幹に引っかかるところまで行き着いてしまったし、話のネタにもなるのでオススメです。なんの話?

[GeneLife Myself2.0] 自己分析遺伝子検査 ※私が遺伝子検査するときに使ったキット

反・幸福論 / 佐伯啓思

本題!

本を捲ってすぐに「ブータンは世界一幸せな国として幸福度ランキングの上位にある、これは若干古いデータだが、そう急激に順番が変わることはないと思われる」みたいな一文が目に入り、悟ってしまった。これは、完全に旬を逃した本だ…!!(ブータンは2019年前後に、幸福度ランキングの圏外まで急激に降下した)
嫌な予感がしながらいつ出たかを確認してみたら、2012年の出版だった。これはさっさと読まなかった私が一方的に悪いやつだ……。反省しながら読み進める。

以下メモ。

サンデル氏の話題(2012年から人気だっけ!?)、菅総理の最小不幸社会。アリストテレスの道徳。
何者にも攻撃されず、私的自由が満喫できるようになってから、私たちの幸福とは「(今、すでにあるものとしての)守るべきささやかな幸せ」より「実現すべき膨張する幸せ(妄想で際限なく膨らむ欲求)」へと変わった。そして、その幸せは「利益」や「権利」と不可分になってしまった。それらは人を幸せにはしない。飢えを満たすための満足が、満足をするための飢えになってしまっている。
個人的自由を求めながら、つながりや絆などのワードに目が眩んでしまうこともそうかな。
「死が常であり、生の方が異常と言える」みたいなくだりは、小説や本でちょいちょい聞くので、違和感はなかった。死生観のあたりの話も、養老孟司先生が言いそうな感じで、理解できる。死生観が、結局のところ生き方に影響してくるもんね……表裏一体!
「人並みに幸せになりたい」の人並み、これが他者との比較の中にしか生まれない、だから幸福の基準が他人基準になる、と言うのも分かる。個性とも呼ばれるような人々の「違い」、これを「不平等である」と観念をすり替えてしまうこと。福沢諭吉の「蛆虫とはいえ、人生が戯れだと知りながら、善く生きて行こうとするのは人間の誇りであり、おおよそ人間の安心法はそんなところだ」みたいな。これも分かる。

ちょっと分からなかったところ。

第二章の「国の義を守ると言う幸福の条件」と言う章まるごと良く分からなかった。ここは章のタイトル通りの内容で、第一章の「道徳」「善く生きる」から派生した「義」の題材として取られた枠だと思う。私も歴史物のコンテンツが好きで、こういったお国を守るための何とかみたいな志を持つ人物の話もよく聞いたりはするのだが、戦時中の話については如何せん私にとってはあまり実感がないことである。国を守るために個々人が一致団結し、一つの社会としてのまとまりを見せる。人間は社会的な生き物なので、充足感を与えられることではあるだろうな、そして否応なく動くことになればその歳月とともに、生き甲斐や道徳、価値観なども形成されるのであろう……ということには全く異論はないんだけど、戦後の日本人の気持ちを考えることはできても、それをベースに日本人の拠り所となるべき義のあり方とは……みたいなことになると、急によく分からなくなった。まだ私が読むには早かったかもしれない。理屈では何となくわかった、くらいに保留しておこう。と思っていたら、後ろの方で「あの大地震が起きたとき、関東の方にいたので自分には被害がなく、東日本の絶望は実感できなかった。しかし伝わってくるものがある」みたいなことを書いていて、今の私の状況やんけ……とうっかり思ってしまった。国の争いと政治と大震災の話に終始しているところも結構見受けられるので、そういったところは人を選ぶかもしれない。

急にテンションが上がったところ。

第三章で突然、柳田國男の名前が出てきた。先日気になってWikipediaでググった、なんかタピオカブームと相まった人だ……!

冒頭で完全に旬を逃したとか言っておいて、大層盛り上がってしまった。すみません、完全に今が旬の話題でした。

何かが有ると言うことは素晴らしいことだ。衣食住。娯楽。生き甲斐。友愛。豊かさ。自由。それらが有るだけで、幸福な生き心地になれる。しかし死んでいるものからすれば、生きるものが何かが有ることを求めるのは、その罪を深くしているだけとも見える。有るということのために、常に何かを犠牲にしている。生きているだけで、他の生き物は食うし殺す、奪う、そしてせめて人並みの人生で有ることを望む(底辺よりは上でありたい、底辺という概念の存在がなくては困る)。罪深いことを快楽とし、肥大していく自分だけの幸福を永劫に追い求めるだけではなく、今まさに死や憂いと隣り合わせであることに気づき、自分以外のものに祈り、感謝し、畏れ敬うことがあってもいいのではないか……みたいな、「幸福ってそこまで人生にとって重要なものじゃねーよ!」という話……ではないな……うーん上手くまとめられなかったが、私みたいな「目が悪くて幸福へのゴールが見つからないので、やむなく自分の周辺の最小不幸を目指す」タイプには興味深く読める本でした。

でも、戦争と震災と国と政治の話は、本当に多かったです。(小声)

漫画:モブサイコ100 1〜16巻 / ONE

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小学館〜〜〜〜!!ONE先生原作のワンパンマンがジャンプ+だったから、たぶんモブサイコも集英社だろう……と思って、集英社の方を探してみたりしていたことがあったんだけど、実際は小学館からの発刊だった。道理でいつ探しても見つからないわけだよ!

ともあれ、初期の頃のWEB漫画を大きく賑わせたONE先生の漫画。モブっぽい見た目の最強超能力者である中学生のモブ君を主人公にした舞台設定になる。うっすらぼんやりと面白いことは周囲の口コミで認知していたし、ワンパンマンの原作のWEB漫画もメチャクチャ面白かったから、読んだら楽しいのは重々承知の上だったのだが、手に取るきっかけを上手く掴み取れず、今まで寝かせてしまっていた。ふとお店の検索コーナーで思い出して本棚を検索したところ、ようやく見つかったので、手に取れました。

モブサイコ100 1〜16巻 / ONE

案の定、はちゃめちゃに面白くて一気に読んでしまった。

主人公のモブくんは、類稀なる強力な超能力者の中学二年生。その能力を買われ、時給300円で、師匠であるところの霊能力者(詐欺)・霊幻新隆のもとでバイトをしていた。このモブくんは勉強もスポーツも不得意で、超能力以外の何かを自分が持っているように思えてはいなかったが、そんな自分を変えるために学校の肉体改造部という部活に入り、自分を変える努力をするようになった頃から、大きな展開に巻き込まれ始め……みたいなのが大まかなあらすじだろうか。

読み進めていくうちに、確かに小学館の匂いを感じた。霊能商売、能力者を集める組織、詐欺師、時給300円、植物の妖怪、などなど、幼き頃の私をワクワクさせてくれた『GS美神 極楽大作戦!!』みたいな舞台の設定で、それに途中で少年ジャンプの『遊戯王』のバクラみたいな謎の憑依能力を持つ怪異や『斉木楠雄の災難』的な超能力…集英社に戻ってきとる!(ついでに言うと、展開を既存の何かとくっ付けて認知負荷さげて解釈しようとするのは、親父ギャグと同じ能力だからやめな〜!)

ともあれ、詐欺行為を働くが保護者としては頼れる師匠との関係、己の人生における異能力との付き合い、ライバルの出現、弟との絆、強い藤崎詩織みたいな幼馴染との恋愛(一方的)、暗躍する謎の組織、自身と似たような強力な異能力者の陥った闇、人間関係のあれこれで揉まれて見つめ直す自身の成長、最後は己の中の何かを向き合うこと、いろんな展開で胸が熱くなり、軽い気持ちで見始めたのに、1巻読んだあたりで「これは絶対に泣くことになるだろうな……」と諦念が芽生え、案の定最終巻を読み終えるまでに3回くらいは泣いてしまった。い、いい漫画…!とてもいい漫画だった!アニメもやっているらしいので、また気が向いたら観てみたいと思う。