前世は君だった

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

言葉を生きる / 池田晶子

前回は『第1章 心はどこに』まで読んだので、今日はその続きから。
▼前回

なぜ自分の内にないものが欲しくなるのか?なぜ自分の内にないものが欲しくなるのか?

『第2章 私とは何か』。テーマがむずかしいんだが?
他人と関わることで自分の輪郭を浮かび上がらせること。自分が何者であるかという個性の存在が、逆説的に己を空虚たらしめ孤独にさせること。役回りを持ち、自己証明をしなければならないと背負い込むこと。様々なところで「己」を前提に世界を認識していることになっているが、しかし、前回でも触れた通りに、自分が世界を認識している以上、世界もまた自分の頭の中にあるものである。他人との関わり合いの中で、その他人から見る己のイメージを感じたとして、しかしそのイメージも自分の認知によるところであれば、自分も他人も無いのかもしれない。
また、ときには、ある対象に感動して我を失い、まるで対象と一体化しているように感じることがある。これは、本の趣旨からはズレた感想になるんだけど、中島卓偉というシンガーが『STAY TOGETHER』という曲を作っていて、(ずっと一緒に生きていきたいと思った)「君の前世は僕だった」という歌詞のくだりを思い出したんだよな。好きな人とは一緒になりたい(そばにいたい、共に在りたい)、憧れている人の真似をしたい(近づきたい、取り入れたい、あなたになりたい)、これらのために自我という個をなくしてもよいと思える、そういうことがあるのであれば、やっぱ「己は世界であること」「自分のうちがわに外の世界が収まっていること」は理屈が通るのでは?

本をめくって数分で何が言いたいのかよくわからなくなってきたので、今日はここまで!てちゅがく、こわくて泣いちゃった。

あかね

静岡に住む、30代後半のものです。当時何に興味かあったのかを振り返るとき用に、読んだ本やYoutube動画、考えたことなどを書いていきます。