読了!
6章の「迷子のロボット」。ロボット心理学の博士の回想、恒星間旅行編。ロボット工学の第一条が正しく適用されていない、政府が極秘に作ったロボットが行方不明になって慌てる話。第一条は「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。」という重要な前提である。それを無視するような危険なロボットを作るな、なんだ戦争目的か?と思ったが、どうやら、人間が強い放射能が降り注ぐ地域で作業をする際、その生命への危険性を看過できずになんとしてでも連れ戻そうとするので作業が進まない、やむ終えず第一条を緩和したロボットを少数作成したという話だそうな。
それを聞いたロボット心理学の博士は「バカなの?全てにおいて人間より優れているロボットに我々が命令できるのは第一条あってのことでは?」と。この世界のロボットは、劣ったものに侮蔑されたら怒りを感じるという、普通に人間式の解釈をして「理不尽である」ということについては『ならぬこと』なのだと認識を持つことができる。ロボットの自分よりも人間を優先する。明らかに自分より愚かで劣る人間たちを。このロボットは放っておいたら人間に害をなすだろう。どうするか、みたいな話。
第7章「逃避」。ロボットのジレンマの話。人間は不可能に直面すると、幻想に逃げ出す、酒に溺れる、ヒステリーに陥るなどする。ロボットはどうか?ということかな。今回はロボットのブレーンに、人間の生死が絡む問題というジレンマを与える。ロボット心理学の博士と、以前の短編で出てきた男の二人組が同時に出てくる。ブレーンの絡みで宇宙船ごと放り出される男二人。やがてその宇宙船は、人類初となるであろう太陽系の外へと星間ジャンプを始めーー。怖いわ。不安定なロボットが組んだ星間ジャンプ怖すぎるんだよな。
第8章「証拠」。そろそろ本の終わりが見えてきたぞ。前章で超空間ジャンプの方法を確立した人類。その少し後の話。とある一人の男・バイアリイが、実はロボットなのではないか?という疑惑を持たれた。その実態を見抜いてほしいと依頼を受けたロボット心理学者の博士。この行為には政治的な敵対を含んでいるもので、それ自体は馬鹿馬鹿しいと思うものの、ちょっと考え始める博士。もちろん、人間とロボットの体は構成要素が違う。X線で通せば一発でわかる。しかし、心理的、そしてロボット工学的に考えれば、人間とロボットの指向性になんの違いがあるのか?人間は人間、ロボットはロボット。その証左を示すにはどのような考察ができるか、という話かな。ロボットと疑われた男がロボット工学三原則を全て守ればロボットであろうと言えるが、同時に善良な人間も「私(ロボット)は人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない」を前提とするロボット工学三原則をすべて守るであろう。ロボットと、高潔な人間は区別がつかない。なるほど楽しくなってきた。この行政長官のロボットができる(?)って話、『ツインシグナル』のカルマの設定だな。古典を読むと漫画の元ネタがわかる、これも面白い。この小説おもろ……。最後の流れがとても良かった。
第9章「災厄のとき」。あれ!?まだ章ある!?前の章で、ページ的にもムード的にも終わったもんだと思ってたが!?
人類最後の戦いの前段階かも見たいな会話が行き交う不穏な流れ。『人間同盟』というロボット不要論を唱える組織がある。科学が発展しロボットが貢献するこの世では、人類は失業もなく、生産に過不足も起こらなくなった。飢餓とかいう言葉は歴史書の中にしかない。このような安寧の世界は続くものである、ただしそれは「マシンが正常に機能する間に限る」。世代が進み、自分達の創造物がもはや理解できなくなってきているのかもしれない。機械が判断を下す材料となるデータの真偽はどのように区別するのか?真実が一部混ざった虚偽のデータを、機械はどのように受け止める?そしてそれが累積していったならば、何が正常の基準になる?そして、その果ての正しさはどこへ向かう?人類の究極的な幸福に何が必要であるか、ロボットたちはそれについてどう考えているか、どのような未来が待ち受けているのか、という話。
最後は一気に読んでしまった。古典SF小説メッチャ面白いじゃん。続編もあるようなので、機会があれば手に取りたい。
全然関係ないんだけど、羽生善治先生の『人工知能の核心』でチラッと出てきた人工知能が描いた創作Aと人間が描いた創作B、人工知能が描いたというだけで創作Aの評価が下がるという現象、これその創作が持つであろう『情報量』の問題なのかな。森博嗣先生のVシリーズに出てくる保呂草というキャラクターが言っていた話だったと思うが、『美とは物体としての絵そのものにはない。それで満足するならその絵の写真でできるはずだ。己は、この絵を描いた画家の生き様の全てが美として絵に焼き付けている』みたいなことをいっていた(うろ覚え)。創作者のバックボーンも含めての「作品」であるなら、ロボットの創作は『化学物質』、人間の創作は『天然物質』に相当するのかもしれない。人間は、人間の生い立ちに関して推察できるその情報量の把握は共感で得やすいが、ロボットの生い立ちに関しては興味ゼロなので情報量的にはそんなに得られないのかもしれない。そういう意味では、ラーメン発見伝の芹沢さんの「やつらはラーメンを食っているんじゃない、情報を食っているんだ」が人間デフォルトなんだなあ、などとYoutubeを見ながら思いました。
何が正しいものかは判断がつかないが、この知識と知識の点を線で繋げた時の気づきが楽しい。