最近、元少年院で教官をしていたVtuberさん(かなえ先生)の、根気強い対話でいかに少年たちの胸の内を推し量るかというトークに感心して、「会話」という話題に興味を持ち、ちょっと読んでみることにした本。
著者の方は、言語やコミュニケーションを専門とする哲学者の先生らしい。この本は、「会話という現象の魅力をフィクション作品を題材にして伝える」がテーマっぽい。既存のフィクション作品(金田一少年の事件簿、背筋をピンと!、ONE PIECE、めぞん一刻、うる星やつら、マトリックス、クイーン舶来雑貨店のおやつ等)から会話を持ってきて、それに対してどのような意味合いを推しはかれるか?という考察が続くものであり、フィクション作品のネタバレの嵐となっていたので(このサイトもそうだが)、ところどころ飛ばしてしまった。いい加減、私は『オリエント急行の殺人』を読まなければならない……!
この本がいうところは、人間が会話を行う場合、主にコミュニケーションとマニピュレーションの混合からなる、という解釈でいいのかな。
コミュニケーションとは、相手の気持ちを押し測ったり「約束事を共有するもの」として使われる。
例えば、久しぶりに会う友人に「元気してた?」と聞いたとして、それに肯定が返って来れば、二人が会っていない間、友人は、なんだかんだ元気していたという情報を『事実』として共有し、今後二人のうちではそれを運用していくことに同意したこととなるし、友人が「元気してたよ、そっちは?」と尋ねれば、私はあなたと同じレベルのコミュニケーションを返せる社会的な人間ですよ、私もあなたのことに興味がありましたよ、みたいなニュアンスを伝えることができる。これが「約束事を共有する」という意味でのコミュニケーションになる…ということだと思う多分。
対して、マニピュレーションは、会話を通して誰かの心理や行動を操作しようとすることである(この場合、悪意や善意、他意の有無は関係がなさそう)。例えば、学校から帰ってきた自分の子供が外に遊びに行こうとする時に投げかける、「あれ?もう遊べるんだ?」の一言で、裏にある「遊びに行くってことはちゃんと今日の宿題終わらせたってこと?違うなら遊びになんていけないよね?それが私との約束だよね」を相手に滲ませて伝えることができる。また、学校の先生が「あの子はいい子だよ、仲良くしてあげたら」という善意の提案も、先生はコミュニケーション、子供にはマニピュレーションの意図になるだろう。
少なくとも、人間同士で会話を行う場合、良くも悪くも裏にいろんなニュアンスがあり、互いに互いの意図を汲もうとすると同時に、自分の希望を滲ませることとなる。これらの状況の例として、いろいろなパターンのフィクション作品のネタバレ含む状況を用いて解説してくれる(言語が違うもの同士の暗黙の了解、自分から自分への対話、互いに嘘だと理解しているが表面上同意する状況、暗黙の了解を維持させることを強要すること、亡くなった人への胸の内など)。コミュニケーションとマニピュレーションは両立する。私も、意識せず「あなたのためを思って」というコミュニケーションの体をしたマニピュレーションを誰かに行うこともあるだろうな……と諦念を抱きつつ、会話という現象について、ちょっとだけ理解を深めることができた本だった。