昭和初期にご活躍された批評家・小林秀雄のことは、数学者・岡潔と対談している本が出ているということで初めて私が知った人物である。その流れで「小林秀雄対話集」を読んでいたところ、時代が昭和だし(良い悪いという意味ではなく、前提となる暗黙の了解的な時代背景が察せないという意味、だって冒頭の坂口安吾との対談、昭和23だもんよ)、一角の人物同士がバチバチに自分の物差しで遠慮なくやり合っているので解釈に時間がかかって仕方なく、もうちょっと凡人に向けた小林先生の易しい本とかない?と言う不純な動機でこの本に手を出した。この本なら、タイトルも今まで十数回くらい読んだようなやつ(読書について)だし、たぶんギリギリ理解はできるはず。一旦これで小林先生の価値観とかを薄く学んでから、また対談本に戻るか〜と考えはしているが、すでにまた今の自分に余るものに手を出している感は拭えない。
た、助かった〜〜〜!!いろんな雑誌に出していたエッセイや対談のうち、「読書や文章について」をテーマとして、比較的分かりやすい印象のテキストをまとめて出しましたみたいな本だ!さすが!需要を分かっている!
とはいえ、まだ先述の対話集に比べたらかろうじて分かる程度なのだが、これまで読書術的なジャンルを何となく歩いていた経験で半分くらいはなんとかなった。乱読のセレンディピティではないのだが、ガンガン並行して乱読してよし、これはと思う名作家を見つけたら日記の隅々まで暴くつもりで徹底して、全作品を焦らずじっくり読んで人となりを知れ、それがやがて己を知ることに繋がる、他人というのは自分を知るための鏡である、などなどの前提のお話から、印刷の普及に伴って世には書物が溢れるようになったが、そのスピードに対して人間の処理速度は追いついていない。得られる文字数がどんなに多くなろうが、いちいち目で文字を追い、自力で判断をし、納得し、批評をし、心に一世界を再現するという話がある、というくだりもあり、「確かに最近、本を読む速度と理解度はトレードオフの関係で、理解をしようと思ったら読む速度はどうしても落ちるというのを見たな」と合点がいったし、最近のトレンドと比べても的を射ているのは凄いなあと思った。これが批評の神様か〜。
また、「美を求める心」についても意見があった。絵や芸術などというものは、まず頭に入った知識で解釈して読むものではなく、ただありのままを感じることが大事である。見慣れることが大事である。美しい花を見るためには、まず沈黙に耐える必要がある。ただ美しい花を見るとき、なんだスミレか、などとすぐ言葉に変換し、頭の中で分かった気になって立ち去ってはならない。美しい花の絵を描く時のように、じっと観察する。外からの美で美しいと思わされるのではなく、ただの素朴な花であっても、観察する己の内から美を感じるようになれる。美が分かるというのは、頭の中の知識の解釈ではなく、ただ素直に感じる心なのである、と。そしてちょっと飛んで、これと同じように、文学や詩などは、まず最初に、時代背景や文学ジャンルなどの知識に惑わされるのではなく、ただ素読・暗誦せよ。みたいなくだりは、「ある意味、湯川秀樹の著書・創造的人間で見たヤツ(祖父に小さい頃から、意味もわからぬまま漢文を素読させられていたが、その経験が将来的には物理学を収める上でも役立った)だ〜〜〜!!」と妙なセレンディピティが起こり、ちょっと嬉しくなってしまった。
取り止めもない感想になってしまったが、先述の対談本と比べて本当に易しい感じで小林先生の知見を学べるのが本能に助かる、小林秀雄先生の本を読む意欲のブースターとして最適な本だった。