「プーチン大統領の頭の中か〜。まあロシア人が書いたからって、あまり間に受けないようにしよう!日本人のジャーナリストが安倍晋三はこういう考えをしている、という主張をみたところで、そのまま受け入れるなんてことはしないもんね!」という気持ちで読んだのだが、普通に色々なことを間に受けながら読んだので、全てにおいて話半分で聞いていただきたい。私は本を俯瞰して読むのが本当に下手。
読書:ロシア史-キエフ大公国からウクライナ侵攻まで-プーチンは祖国(ソ連時代を含める)ロシアの文化への固執を持っており、西ヨーロッパ圏の価値観に侵略されることを拒んでいる、というのが大まかな主張なのかな。
奴隷を意味するスレイブの語源となったとされるスラブ、ロシアはそのスラブ人の流れを受けるものである。この人種は、スラブ主義という思想を持ち、これは19世紀に西欧主義に反対してロシアは独自の発展をすべきという主張であるらしい。まあ、西側やイスラム側がスラブ人を奴隷として攫い大量に売り捌いたことでスラブ人=奴隷(スレイブ)の語源となったそうだし、西欧の資本主義(奴隷という商人を売って金を儲ける)vs 共産主義→冷戦での敗北、と発展していくことを考えれば、東スラブ(ロシア、ウクライナ、ベラルーシ)の文化を西欧側に染められるのを拒否するのは当然……ということでいいのかな?そのため、同じ東スラブ人であるウクライナが西洋の価値観に感化されることを容赦できなかった、みたいな……。
そう考えると、何を拒否しようとしているのか、薄ら分かる気はする。
私は資本主義に染まりきった国に生まれたから、特に違和感なく、今の世界(と認識していた西欧中心の資本主義と日米の価値観)がデフォルト(正しい状態)だと感じているが、冷戦でソ連の共産主義の敗北が決定的になったのって1989年、つまり割と最近の話になるもんな。その最中から生きてきたプーチンは、共産主義には否定的だとは言え、だからと言って自国の文化や価値観が、ヨーロッパ的な価値観に全て上書きされていいものだとは考えていない。そもそも、ロシアは他国を侵略することもあったが、侵略されることもまた多い歴史を持つ国だった。
モンゴルがロシアを侵略・支配した約250年で有名な「タタールのくびき」、ローマ教皇の命令により十字軍として侵略してくるスウェーデン軍およびドイツ騎士団、ツァーリの地位を狙ったポーランド軍によるモスクワ占拠、同じくモスクワを狙ったナポレオンの大遠征(冬将軍で有名なやつね)をロシアは「祖国戦争」と呼び、ドイツ軍の奇襲・バルバロッサ作戦から始まる独ソ戦を「大祖国戦争」と呼ぶ等、情報統制などもあるが、「ロシア征服を目的とした戦争を他国からふっかけられて祖国の防衛戦を強いられる我々」という意識があるっぽい。ペスコフ大統領報道官が「ロシアは多くの防衛戦を経験したため戦争と発音することすら嫌う。他国を攻撃したことも歴史上一度もない」と発言するほど、他国からの侵略に抵抗する『被害者』としてのポジションが、逆に祖国の正当性という、大きな肯定感を生んでいるのかなと思える。とすると、西欧諸国を「我が国に多種多様な手段(思想・経済・戦争・文化)で卑劣な侵略してくる連中」と捉えるのも致し方ない、というのは、何となく…たぶん…分かった!(分からないことを分からないものとしてそのまま保留しておく認知負荷に耐えられないので、いったん分かったことにした)
まあ言われてみれば、「みんな明るく世界平和!資本主義で貧富の差が激しく生まれるかもしれないけど、みんなで頑張ってこ!」という思想を世界で共有していくことは、それこそ多様性を損なうものであるかもしれないなあ。ヨーロッパ圏の価値観を拒否するものも含めて世界のシステムだとみなす考えも、各々に必要であるのかもしれない。とはいえ、私個人はポルポトみたいな原始共産主義は受け入れがたく感じるので、その辺の線引きをどうするのかについては、本当に、これまで環境に持たされてきた物差しによるとしか言いようがない気もする。
プーチンは、インターネットやらなんやらも快く思ってはおらず、これからのロシアを担う若い人がネットを介して西欧的なグローバル化に染められることも危惧している。プーチンが大統領になる前に所属していたことで有名なKGBは、国内に流通している思想を探る部署でもあった。そこでのスパイ活動は、人と話し、そのいうことを理解するという、徹底した人間観察を要求されるものである。プーチンはソ連の共産党の家に生まれたが、自身は共産主義には懐疑的だったそう。哲学と同じく、理想は理想として美しいが、現実的では無いとする現実主義の価値観を持ちつつも、他国に狂わされていく祖国の人々を多く見たのだろう。崩壊してゆくソ連から、彼が継承したのは、共産主義ではなく、祖国への愛だった、と筆者は見ている。彼が求めるのは、ロシアの人々が、他国に惑わされることなく、自らの思想を自らで持ち、自らの意志で自らを管理できる人。
旧知の友人たちから齎される情報のみを信用し、既存の哲学・主張を利用しながら、ヨーロッパにはヨーロッパ向きの言葉を、アジアにはアジア向きの態度を使い分けて、柔道のように柔よく剛を制し、ソ連が崩壊した際新しいロシアという枠組みから外されてしまった2500万人を取り戻すべく、愛する祖国のために、動いている…のか?ちょっとこの辺まとめ切れていない。まあどうしても現状は複雑になるし、色んな矛盾を抱えざるを得ない都合上、各々の主義主張に綺麗に筋を通せるものばかりではないのだが、この辺りのややこしさが、世界情勢を把握する気を無くす膨大な理由の一つな気もする。人間は、分からないものは自分の尺度で単純化してでも分かった気になるか、負荷を恐れて忌避するからな……!そもそも何が正しいのかも分からないし……。ウーン(哲学)
単純にまとめるのは良くないことだが、結論としては、プーチンの中では、『偉大なる祖国ロシア』のアイデンティティが、いつの間にか『ヨーロッパの悪き陰謀に立ち向かう』ことになっているのかなあ、と思ったりもした。偉大なるロシアの一部でありながら(主観)、ロシアのアイデンティティを揺るがし、ヨーロッパ側の思想に飲み込まれそうになっているウクライナを取り戻すための戦い……となるのだろうか。
あとやっぱり、ソ連を生き抜いてきたプーチンの周辺は『ロシアはヨーロッパに不当に舐められてる、侮辱されている、偉大なロシアを顕示することは正当性を持ったことである』という意識がありそう。ただ、一般のロシア人は、西欧との対立に疲れているっぽいようなことも書いてあったな。
後半は、著名な文学者たちの哲学的な思想をどのように権威づけに使ってきたかや、これからのロシアという国の在り方についての考察があり、面白かったのだが、ちょっと私の諸々の知識が無さすぎてまとめ切れなかった。
また、この本自体は2015年にフランスで出て評判が良かったものを、昨今のウクライナ情勢を受けて加筆修正して邦訳したものらしい。よって、ウクライナとNATO周りのページは、終わりの方に少し出てくる程度で、その話題を期待して読んだわけではなかったのだが、ロシア・プーチン視点から見た危惧などの認識を少なからず改められたので、ためになったと思う。
以下、面白かったところメモ。
・「彼は哲学というものを、多くのロシア人と同じように「東洋の知恵的」だと思っていた」という一文で、「多くのロシア人、第三のローマを自認する首都があるのに、ギリシャの哲学者は含めないとかある!?!?!」と内心草を生やしてしまった。その後、「プラトンのような、哲学者が統治する国は、現実的ではない」、要するに哲学者が語るような、共産主義が掲げるような、『理想』ではなく現実路線でやりたかったというラインが出て反省した。
・ノビチョク…!ミストチャンネルで見たぞ!急に知ってる事件が出てきて思い出したのだが、そういやこの本を最初見たときに、「プーチンの政敵抹殺の数々的な要素がいっぱい出てくるのかな……」と思っていたのだが、実際はそんなになかったな。ロシアには著者の親族がおるからおいそれと書けんとかあるのかな。
・やっぱロシアは個人の英雄を崇拝する傾向にあるんだな、ツァーリズムもその一環なのかな。
・『文明が生命を持っていて、それぞれの文明は固有の遺伝子のコードを持っている』とする考え方、初めて聞いたので、新鮮だった。
・最後に出てきた、「プーチンは三度目の祖国戦争を体験したいのかもしれない(要約)」というくだり。ロシアの持つ個人崇拝(英雄)って、戦争なしには、文脈的に成立しにくいもののように思えたので、そういうことあるかもとは感じてしまった。戦争になった時、人々は祖国を守るために命を賭け、財産を捧げ、一致団結する。戦争こそが、個人を全体へ奉仕する存在にする。戦争は人々の倫理観を高め、英雄にするのだみたいな理屈があったと思うが(うろ覚え)、これも1世紀前ではメジャーな思想っぽいなあと……。1世紀前ったって、最近だもんなあ。自己犠牲的な英雄は、戦争にでもならんと、出てこないよなあ、とちょっと色々考えさせられた。
と言ったところで感想は以上です。ようやく読み終わった。俺はポルトガル史に戻らせてもらう!