ふとした瞬間に、自分の中にある無数の知識の点と点が、思わぬ線で繋がる瞬間がある。それがひらめきだったり、直感だったりと言われるもので、「これってこういうことでは?」と解釈が言語化され、全く予想もしてなかった人生の伏線が回収されるということを楽しみにしている。私の場合、その現象が起きるときは、本を読んでいたり散歩をしているときに起きることが多い。つまり大抵は独りでいるときに感じる喜びだ。昔から、寂しいという感情に浸ることはあまりなく、孤独には強い方だと思い込んでいるのが幸いして、あまり人とは直接的に関わらずに済むよう暮らしているのだが、この暮らし方はときどき悩ましい。自分だけの材料をこねくり回しているだけでは、どうにもならない類の閃きがあるのではないか、と思うからだ。まあ普段読んでいる本も他人が書いているものだし、思考の言語化は外界あっての学びの成果なので、普段も自分だけの力で何かエウレカしている訳ではないのだが、対談本などを読んでいたりすると、その会話で互いに自分の点と他人の点を線で繋げているのを見ると羨ましく思う。というところまで考えたところで、それが世間一般の普通の会話という流れの成果の一種なのでは?と思ってしまった。やっぱ一人で暮らしてるとダメかもしれない。今年の休暇は実家に帰ります。
何かと何かの知識が言語化されて繋がる直感的な閃きのために、他人から離れて本と交わり、たまには本を置いて他人と交わる。それも消費材料にするのではなくて、互いに何かを与え返すことを念頭におく。気をつけてみようと思いました。