星新一ラッシュ
水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます
先日、実家のテレビで『星新一の不思議な不思議な短編ドラマ』を見た。SF作家・星新一のショートショートから『地球からやっていた男』をドラマ化したもので、まあ多分読んだことはある(母がファンで本を持っていた覚えはあるため、かつての本棚にはあったはず、私も読んだはず)……とは思うが、記憶にない。その翌日、入った本屋で星新一が平積みされており、今も人気があるんだなあと思ったあと、適当に寄った喫茶店で昨日の読書の続きをと羽生善治の『人工知能の核心』を読んでいたら、急に「人工知能に物語を書かせたらどうなる?星新一のショートショートを人工知能に書かせてみた」みたいな話が出てきて、二度見してしまった。こんな時間が飛んだ話のつながりかり方ある?
劇場版『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』
新一つながりというわけではないのだが、コナンの映画を見に行った。今回は警察組、佐藤と高木の恋物語と、降谷の過去(かつて警察学校で連んでいた仲間含む)の話が混ざった感じのやつかな。相変わらず爆発に次ぐ爆発といった感じで面白かった。今回はロシアからやってきた爆殺のプロとそれを追うロシアのヤベー組織が日本にやってきてハロウィンにドンパチかますという、世界情勢的にやや心配になるストーリーだった。流石に映画を作って公開決定した後の、この現実社会の世界情勢だろうから、この件についてコナン映画に罪はないだろう。ないと思うな。一緒に見にいった子は「やっぱコナン映画って『持ってる』な」とのコメント。分かる。
一番解せない点はコナンと灰原がごく当たり前にロシア語を使いこなしていたことなのだが、「灰原はまあ……わからんでもないが……」「もしかして親父にハワイで習った?ロシア語」「でもコナンってロシア文学好きそうじゃん、絶対『罪と罰』から引用したポエムかましてくるよ」という感想が山ほど出る。そういう点も含めて、コナン映画って毎年本当に面白いんだなあ。感想戦が盛り上がる。
来年はジンが出るらしいので、来年も見に行きます。「会いたかったぜ?シェリー……」じゃないのよジンニキ。シェリーは会いたくないのよ。
アニメ・すべてがFになる 1〜11話 / 原作・森博嗣
身内に布教するため、アニメの一気見を敢行しました。よくこんな長時間付き合ってくれたな。本当にありがとう。原作の小説と比べると、設定の乖離が割とあり、途中もう一人のボクが解釈違いを起こして暴れ回ることも度々あったのだが、無事に試聴完了。また小説読み直すか〜!
人工知能の核心 / 羽生善治
星新一つながりでも人工知能つながりでもないのだが、先日の途中の続きから。
ロボットの『報酬』とはなんぞや?という話。確かに人間が得るものであれば、経験やお金というのは行動した結果の報酬として機能することは理解できるが、ロボットにはそういうものはなさそう。なさそうというか、優先順位をどうするかという話になるのだろうか。機械学習のために知的欲求を優先する、ただし違法にはならない範囲で、というような条件だけでも、まず文系の代表みたいな立法解釈が文脈で理解できる性能が必要だ。人間が考えつかないような規制されていない抜け道もできそう。その結果、システム側が想定のないエラーで不具合を起こして、みたいな展開は思いつくなあ、こういうのどうするんだろうかと思っていたら、それに対応する例として挙げられたのは『ロボット三原則』だった。それだあー!そうだった、我はロボット!ロボット三原則!それをバシっと思い出せたらスッキリできただろう。惜しい。
ロボットや人工知能の人権はどうするのか?という話もあった。昨今の人工知能は芸術の分野にも手を伸ばしている。絵画で独特のタッチを模倣することはもちろん、音楽は数学的処理が行いやすい芸術なのだそうだ。しかし、いくら人を感動させるような絵や音楽、小説を創造したとしても、それがプログラムが作ったものだと分かった瞬間に、人間は評価を下げる傾向にある。芸術は芸術として評価せえよ!とは反射的に考えるものの、この「絵が美しい」というだけで正当な評価を行うことは人間には出来ないだろう。芸術の評価のされ方というのは、技術や表現は前提として、その芸術を通して連想する作者の人間性・人生や時代の背景、自分自身の感情や主観込みでのことになる。創作は、それを観る側がいて成立するコミュニケーションの一種という説もあるくらいだ。この場合、プログラムの創作に対して評価をする、我々人間の方が、時代に合わせて価値観を変えていく必要があるんだろうな。本日はここまで。進捗は60%。
羽生善治/NHKスペシャル取材班 NHK出版 2017年03月
女神異聞録ペルソナ 全8巻 / 上田信舟
表紙が懐かしすぎでは?薦められるまま手に取ってしまった。ぼっちゃま、必ずや一番の日本男児におなりください。
そうそう、こんな話だったなーと思いながら読み進めていたら、第23話で香西千里の写真と共にTendre Poisonの香水の瓶が出てきて、地面を転がるなどした。この時代確実に流行ったアイテム!私も持っていた!廃盤になって久しいやつだ。その後、マキちゃんの『楽園の扉』周りの設定が出てきて、なんだか既視感を覚える。機械に繋がれた少女。少女は楽園の夢を見ながら眠り続けている。その幸福な夢が主人公たちと共有され、のあたりで「これはeuphoriaというエロゲーの設定を思い出すな…」と思っていたらふと「euphoriaの主題歌、確か『楽園の扉』だったのでは?」と気付く私。そこから「これさては、ペルソナ・euphoria共に有名になった元ネタがあるパターンなのでは?イギリス文学あたりで同じような設定の小説ありそう、タイトルは多分『楽園の扉』!」という謎の推理を展開してしまったのだが、実際はどうなのだろうか。気になる。
是方那穂子 アスキー・メディアワークス 1997年05月