市民の幸福を管理するコンピュータ様
データ管理、自己追跡(セルフトラッキング)。私はApple WatchやiPhoneと連携する体重計、それらで収集したトラッキングデータをiOSのヘルスケアに集約し、アプリで解析させたり自分で眺めてニヤニヤするのが割と好きなので(そしてその数値をもとに改善意識が生まれたりするので)、データ管理は我々を幸せにするのでは?レコーディングダイエットでセルフトラッキングしまくっていたせいでなんとかなった覚えもある。データ管理は私たちを幸福にするか〜?YESだね!という先入観のもと、読み進めた。
▼第1章:「分かる」と「できる」の間の深い溝
スーダラ節に「分かっちゃいるけどやめられねえ」と言う歌詞があるが、我々も、ジャンクフードを目の前にして、知識としては「絶対体に悪い」と思っているのに、欲望が自制では止められずに、そのままフードトラップに嵌ってしまうといったようなことは多々ある。こういった状態を『アクラシア』、アリストテレスは意味を「ある行為を悪いと知りながらも欲望のために行ってしまう心の傾向」としたらしい。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」みたいな名言があるが、愚者も歴史くらいは知っている(大体学校で学ぶ)。しかしそれを活かすだけのセルフコントロールがないせいで状態が悪化してしまい、知ってはいるものの、様々なバイアスや状況に流されてしまい、痛い目を見た経験ができてからようやく行動を改善する。しかし、それは愚者だからではなく、もともと人間はそういう性質の持ち主であり(分かってはいるができない)、一部の賢者に『※彼らは特殊な訓練を受けています(分かったことができる)』というテロップがついているだけでは?そうであるなら、我々はこのダメな性質をどうしていったら良いのか?みたいな話だったと思う(うろ覚え)
▼第2章:定量化される自己
例え人間がダメな気質を持って生まれてきたとしても、それを補うことはできる。例えば、物語の主人公のそばには、モラルアドバイザー(道徳的な助言者。お前ならできると言葉で励まし、旅路を助け、時によからぬ道に進みそうな主人公を叱咤する)がいることが多い。現代ならばその役割を、お手持ちのスマホのヘルスケアや各アプリが担ってくれている。(運動量が足りていないと知らせる、朝7時になったら起こすなど)
また、己の曖昧な認識で捉えていた出来事も(たまには自分へのご褒美にアイスを買うか)、具体的な数値にして定量化されると(1週間に5回ご褒美アイス食っとるな)、状況に対しての改善が行いやすくなる。
日記、計量、スマートウォッチによるバイオトラフィック等、自己追跡(セルフトラッキング)を行って己というデータを管理する環境は、すでに現代に浸透している。これらのデータによって「説得」されれば、「分かってはいるができない」から、「分かってはいるができない、しかし、できるようになりたい、何かいい方法はないだろうか?」と意識の改善の余地が生まれる…みたいな話だったと思う(またうろ覚え)
今日はここまで!