「2022年7月」の記事一覧

月曜日はおじゃんぴ読むことしかできない

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お!?明日Amazonプライムデーか!?何か買いてえ!と思ったけど、毎日欲望に忠実に生きとるから、いざ大型セールだって時に買いたいもんがリストに残ってないんだよな。犬でも待てはできるのに。

週刊少年ジャンプ 2022年32号

ロボコ。今週のジャンプのロボコの表紙、伊藤潤二の首吊り気球で笑ってしまった。うずまきといい、ジャンプは攻めてくるな。あと今週の領域展開……なに?

呪術廻戦 第190話。情報が多すぎ〜〜〜(小パンダ、金ちゃんのいい奴ぶり、片腕欠損、鹿紫雲の仲間入り、後輩の宿儺、イケメン面の桃ちゃん、普通に戦ってた真希ちゃん、リスク分散の姉弟、加茂家追いやられたのりとしくんの新しい髪型)一気に状態が動いたな。今週もメッチャ面白かった。


今日気になったTogetterの記事。

記事の中で語られている『サピエンス全史』は、私も上下巻共に読んでいて、人類史について合理的な説明がなされており、かつ壮大なストーリーを感じられてメッチャ面白かった覚えがある。最後の方にあった、仏教的な救われ方なんか印象に残っているな。しかしこの記事をみると、確かにそうかも……と思うところがあったのでメモ。

科学者が書いた文章は必ずしも科学的ではない、自分の論旨に沿ったデータを恣意的に歪めて抽出して物語を展開している、この態度はストーリーテラーであり科学的とは言えない、ということかな。数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う的な。(今回の場合、ダイレクトに嘘つきとまでは言わないが)

私も、いろいろな本を読んでいて、畑の違うジャンルの共通点を見つけ出して「もしかして、これってこういうことでは!?」ってひらめくことがあって、それがメッチャ楽しい!と夢中になってしまいがち。しかし、それは見る人間の主観により恣意的な意図に歪められている(根拠はないが楽しい)創造であって、科学的ではないよなということを、心のどこかで留めておかなきゃなと自戒の念を込めておく。

どっちが命だか分かんなくなっちゃった!?

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漢字なりたちブック 3年生 / 伊東信夫、金子都美絵

ついに3年生に突入してしまった。面白かった漢字の成り立ちを紹介しているページのナンバーをメモしながら読み進めてたんだけど、読み終わった段階で計19個もメモっており、私は一体どんだけ小学3年生で習う漢字が面白かったんだよ。

P29「央」。首枷をつけている人の形。首枷をつけられてると正面しか見えないから、中央の央に使われるようになったよ!って言われて、ワッ……こわくて泣いちゃった(ちいかわ構文)
P36「化」。人が死ぬことを表した文字。右側の七みたいなやつは、死んだ人を表す。にんべんはそのまま生きている人だから、生きている人が死んだ人間に変わる様。またこんなんか?
P69「県」。木にぶら下げた首の形(!?)
P73「幸」。手枷をつけられた人間の形(!?)。最も重い刑に比べればこれくらいで済んでよかったよね〜みたいな意味合いらしく、なるほど生きているだけで幸せっていうのはそういう……図らずも考えさせられるな……と思わず真顔になってしまう。
P83「死」は、骨を拝んでいる人の形。つまり死を定義するのは、いつだって生きている人間って…コト!?
P91「持」、物をじっと持ち続ける意味の「寺」にてへん。最近、「待つ」ということに関しての本ばかり読んでいたからか、なぜか深い意味のように捉えてしまう。
P124「真」。行き倒れた人の死体を表す(!?)。元の漢字は眞で、七と県を組み合わせた。死んだ人は自然の一部となり、人の力を超えたものになることから、真実・永遠・まことという意味になるらしい。エー!?
P134「息」。自分の心と書いて息。これ昨日読んだ瞑想の本で出てきたやつだぞ!
P232「列」。首を並べた様から。またこんなやつ!?左側の部首は切られた首を表し、右側のリは刀を意味する。ん?右側の部首、「死」にも出てきとるな、ということは、さては「死」、生者は骨を拝んでいるんじゃなくて切られた首を拝んでいた?

などなど、19個全部上げるのもどうかと思うのでこの辺にしておくが、小学3年生で習う漢字は物騒な成り立ちが多いなということと、だんだん漢字のパーツの事前知識が溜まってきたことによる成り立ちへの推察力が上がってきていることを実感できたりと、今回も面白かった。いやー、やっぱ漢字っておもしれえな!この面白さがリアル小学3年生だった頃の私に響いていればな。次は4年生を読みます。

他興味があった漢字の成り立ちメモ、P92「式」、P104「習」、P117「章」、P143「待」、P191「表」、P202「勉」、P203「放」、P212「役」、P214「由」、P227「流」。

迷走神経って何が迷走しているのか気になる…

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迷走している人の瞑想入門 / 花房里枝、松尾伊津香

瞑想は脳や精神の安定にいいよ〜と言う知識はあるものの、今まで特に活かして来ず…、と言う出だしをタイピングしている最中に思い出したんだけど、私……毎日瞑想しとるな?
寝る前に5分間だけアラームつけて寝っ転がりながら頭を空っぽにして寝る準備をすると言うのと、漢字の書取や本を読んだ後にApple Watchのマインドフルネス(呼吸)機能で、3分間何もしない休憩を挟むことはやっていたわ。それを瞑想だと認識してなかっただけだな。もう既に話が迷走しとんのよ。まあともあれ、座禅組んで30分やるなんて言う本格的な瞑想はやったことはないのだが、頭がゴチャゴチャしている時には迷走していると感じることが多いこと、脳を休めると言う休息に関する本を読んだ記憶が思い出されたことで、参考までにと手に取った。
まあ正直に言うと、あまりこの手の本に期待していなかったのだが(失礼)、瞑想以外のところでためになるような教えが多かったと思う。

▼メモ

悩みは瞑想で解決しない。心にゆとりのあるスペースを作ることが大事(今を俯瞰して見る力、いわゆるメタ認知を鍛えることで、視野狭窄から来る悩みそのものを変化させる)

ゆとりを無くす原因として、
(1)ネット社会、学校教育などで、答え(一つしかない正解と言う幻想の概念)をすぐに探そう・得ようとしてもがく脳の癖がついてしまっている(認知的完結欲求の話だ〜!真賀田四季も「分からないことを分からないままにして置けないのね」みたいなこと言ってた覚えある〜!)
(2)周りに最適化された自分を形成して長年生きていたため、その要望に応えようと意識が忙しくなってしまう

瞑想で呼吸に集中せよ、呼吸は今にしか存在しない普遍のテーマだから。緊張すれば呼吸は止まりがちになり、感情が乱れれば呼吸は荒くなる。逆説的に、呼吸が落ち着けば気持ちも落ち着いてくるものである。
また、今に集中せよと言うのは、人は未来や過去や空想に意識が飛びっぱなしで、現在という自分の家に帰ってくることが然程ない。このホームレスの状態から、落ち着ける居場所に戻ってくることをしないと、何かを成すという行為そのものが覚束ない。能動的に何かを追いかける気持ちを一旦止めよう、みたいな。「ありのままの今」を認識できないのは、相対的に物事考える基準そのものが正しく認識できないのでは?ということが言いたいのかなとも思う。

そんな感じで前半は「なるほど〜!」って楽しく読めたんだけど、後半の瞑想の実践方法や瞑想のやり方なんかはあんまり興味が湧かなかったな。慈悲の瞑想…スマナサーラさんかな?みたいな余計な感想が湧く。私がまだ、これを必要とする域に達していないということなんだろうな。

しかし、夜の瞑想は「睡眠の質が上がり、感情の粘着性が弱まる」という著者の主張には頷けるところがあったので(眠りの質に関しては、寝る前の5分の頭空っぽにするやつでも十分実感できる)、朝の瞑想の「自分の中に軸を作ることができる(日中の活動の揺らぎ・揺さぶりに対して強くなる)」も実感してみたいなと思った。朝の瞑想5分、始めてみようかしら。

どうなってんだ

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高橋和希先生と安倍元首相の立て続けの訃報には、さすがに気が滅入る。ご冥福をお祈りいたします。

今日は本を読んでも頭に入ってこなかったので、大人しくYoutube見てました。アキレウスー!
いや、面白いな。アキレウスの知名度を抜群に上げた「アキレス腱」、古代だとそんな名称はなくて、16世紀に入ってからアキレウスの物語に因んで名前を付けられて、そこから広く知れ渡るようになったと。センスのいい医療関係者がいなかったら、今のアキレウスの知名度なかったかもしれないのかー。

アメリカの、飼っていた小型の熱帯魚が死んだらトイレに水葬するシステムなに?

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静岡県の民話 / 日本児童文学者協会編

何気なくこの本を手に取った瞬間、三重県の鳥羽シーサイドホテルという場所に旅行へ行った際に人喰い山姥が包丁を持って追いかけるみたいな、やべえ民話の壁画を大量に見たことを思い出し、サイレントヒル県にも似たような物語があるのかも!と考えてしまった。私が小学生だったとしても絶対に自分からは手に取ることはないだろうタイトルの児童書も、歳をとってくると不思議と興味が湧くんだよなあ。ともあれ、静岡県の民話のはなしである。

初っ端から、かの有名な天女の羽衣を盗んだ漁師の話が出てくるし(「妖しのセレス」で見たやつ〜!)、田んぼの苗植えで嫁を過労死させる姑が出てくるし(嫁の涙のような何かが残る土地となる)、自分の犬を任した寺の犬を殺そうと追いかけ回す殿と配下がいたし、人をむしゃむしゃ食う目一つ小僧が出てくるし、かと思えば高潔な殿様と村人が出てくるし、人でも妖怪でも全体的に登場人物の民度の高低差が激しいんだよな。
ともあれ、富士山由来の民話いっぱい出てくるのには驚いた。なんとなく京都のイメージがあった竹取物語も(みかどとか出てくるからかな)、静岡県の民話だったらしく、どうやら竹取翁たちは富士山のふもとで竹を切って暮らしていたとのこと。源頼朝が出てくる話もあって、お、お前…お前こそ京都なのでは?と思わず詳細をググってしまったりした(なんか史実でも静岡に流されたり合戦だったりで来ていたことがあったらしい)。
あと、獅子舞で使うシシについては、日本の狐がわざわざ天竺(インド)まで行って一戦交えて持って帰ってきた獅子の首から来ていると言う民話があるらしく、確かに日本にライオンいるって話聞かねえもんな…!?って唸ってしまった。まあ天竺(インド)由来ってことは、多分獅子舞は仏教由来の何かなのかなという気もするが…(野暮な話になってしまう)
そして昔話ばっかりかと思えば、急に紙面に「この気田村に大きなパルプ工場が」みたいな文章が見えて、「ぱ、パルプ工場が!?!?!?!?」ってなった。その後も「背広が」「ハイカラが」「文明開化が」「写真が」「馬車に代わってバスが」「会社が」「ストライキが」「東海道本線が」「小山発、御殿場ゆきの最終列車が」と立て続けに近代化の波がやってきていて、結構近代の話も民話になるんだな!?ってメチャクチャ動揺してしまった。現代民話ってジャンルもあるんだな。明確に知ったのはこれが初めて。現代民話に出てきた登場人物の子孫が、その人物の写真を現代までに現存させている様子が後書きに残されていたりと、とんでもねえジャンルを開拓してしまった気がする。

総じてこの民話集、想定していたよりもずっと面白いものだった。寓話だったら物語に教訓めいたものがあるんだけど、民話って「この土地の沼にはこんな伝説があって」「この地方のツツジ群にはこんな由来があるとされていて」とかその地域の歴史がモロに出るのね。嫁入り修行で日の暮れるまでに苗を植えよとかいう姑の言うことを聞いた嫁が、太陽の不思議な力を借りながらもなんとか植え終えた話があったんだけど、私は「はーまったく胸糞悪いが良かったなお嫁さん、嫁入り修行は終わりかな?旦那と幸せになれよ」とか思っていたら、なんか嫁がそのまま息たえて死んでしまって(!?)、寓話だったらハッピーエンドなのになあ〜〜と頭を抱えてしまった。死んだ嫁が流したであろう涙のような白い濁りが、この土地の田んぼにはあるんだよって話だった。

また、民話に出てきた地名をググればそれなりに近くで休みがあれば行けそうな地名だったり、地名を画像検索すると本当に民話で見たような風景の景色が見られたり、民話の一つ「天狗の詫び証文」にはこれモチーフの東方の曲まであったりしたり、呪術廻戦でこういう呪霊出てきそう〜って思ったり(オタク)、昔の静岡の県民性どう言うことだよ…と考えてしまったり、思っていたより100倍くらい民話の楽しみようがあるんだなって気付かされた。人生の楽しみをまた一つ見つけてしまったなあ。

民話おもしろポイント:土地に由来する伝承そのものが重要ポイントなので、童話とは違って教訓話とはならず、マジで普通にバッドエンドに入る(命懸けで訴えた労働者を騙して普通に元の地獄労働環境に戻して悪者はニンマリ、おしまい、みたいな身も蓋もない話があるなど)