アメリカの、飼っていた小型の熱帯魚が死んだらトイレに水葬するシステムなに?
何気なくこの本を手に取った瞬間、三重県の鳥羽シーサイドホテルという場所に旅行へ行った際に人喰い山姥が包丁を持って追いかけるみたいな、やべえ民話の壁画を大量に見たことを思い出し、サイレントヒル県にも似たような物語があるのかも!と考えてしまった。私が小学生だったとしても絶対に自分からは手に取ることはないだろうタイトルの児童書も、歳をとってくると不思議と興味が湧くんだよなあ。ともあれ、静岡県の民話のはなしである。
初っ端から、かの有名な天女の羽衣を盗んだ漁師の話が出てくるし(「妖しのセレス」で見たやつ〜!)、田んぼの苗植えで嫁を過労死させる姑が出てくるし(嫁の涙のような何かが残る土地となる)、自分の犬を任した寺の犬を殺そうと追いかけ回す殿と配下がいたし、人をむしゃむしゃ食う目一つ小僧が出てくるし、かと思えば高潔な殿様と村人が出てくるし、人でも妖怪でも全体的に登場人物の民度の高低差が激しいんだよな。
ともあれ、富士山由来の民話いっぱい出てくるのには驚いた。なんとなく京都のイメージがあった竹取物語も(みかどとか出てくるからかな)、静岡県の民話だったらしく、どうやら竹取翁たちは富士山のふもとで竹を切って暮らしていたとのこと。源頼朝が出てくる話もあって、お、お前…お前こそ京都なのでは?と思わず詳細をググってしまったりした(なんか史実でも静岡に流されたり合戦だったりで来ていたことがあったらしい)。
あと、獅子舞で使うシシについては、日本の狐がわざわざ天竺(インド)まで行って一戦交えて持って帰ってきた獅子の首から来ていると言う民話があるらしく、確かに日本にライオンいるって話聞かねえもんな…!?って唸ってしまった。まあ天竺(インド)由来ってことは、多分獅子舞は仏教由来の何かなのかなという気もするが…(野暮な話になってしまう)
そして昔話ばっかりかと思えば、急に紙面に「この気田村に大きなパルプ工場が」みたいな文章が見えて、「ぱ、パルプ工場が!?!?!?!?」ってなった。その後も「背広が」「ハイカラが」「文明開化が」「写真が」「馬車に代わってバスが」「会社が」「ストライキが」「東海道本線が」「小山発、御殿場ゆきの最終列車が」と立て続けに近代化の波がやってきていて、結構近代の話も民話になるんだな!?ってメチャクチャ動揺してしまった。現代民話ってジャンルもあるんだな。明確に知ったのはこれが初めて。現代民話に出てきた登場人物の子孫が、その人物の写真を現代までに現存させている様子が後書きに残されていたりと、とんでもねえジャンルを開拓してしまった気がする。
総じてこの民話集、想定していたよりもずっと面白いものだった。寓話だったら物語に教訓めいたものがあるんだけど、民話って「この土地の沼にはこんな伝説があって」「この地方のツツジ群にはこんな由来があるとされていて」とかその地域の歴史がモロに出るのね。嫁入り修行で日の暮れるまでに苗を植えよとかいう姑の言うことを聞いた嫁が、太陽の不思議な力を借りながらもなんとか植え終えた話があったんだけど、私は「はーまったく胸糞悪いが良かったなお嫁さん、嫁入り修行は終わりかな?旦那と幸せになれよ」とか思っていたら、なんか嫁がそのまま息たえて死んでしまって(!?)、寓話だったらハッピーエンドなのになあ〜〜と頭を抱えてしまった。死んだ嫁が流したであろう涙のような白い濁りが、この土地の田んぼにはあるんだよって話だった。
また、民話に出てきた地名をググればそれなりに近くで休みがあれば行けそうな地名だったり、地名を画像検索すると本当に民話で見たような風景の景色が見られたり、民話の一つ「天狗の詫び証文」にはこれモチーフの東方の曲まであったりしたり、呪術廻戦でこういう呪霊出てきそう〜って思ったり(オタク)、昔の静岡の県民性どう言うことだよ…と考えてしまったり、思っていたより100倍くらい民話の楽しみようがあるんだなって気付かされた。人生の楽しみをまた一つ見つけてしまったなあ。
民話おもしろポイント:土地に由来する伝承そのものが重要ポイントなので、童話とは違って教訓話とはならず、マジで普通にバッドエンドに入る(命懸けで訴えた労働者を騙して普通に元の地獄労働環境に戻して悪者はニンマリ、おしまい、みたいな身も蓋もない話があるなど)