シーナの日だ!と思ったが手元に本がない
水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます
読書 ※ネタバレ
- 知ってるつもり 無知の科学 / スティーブン スローマン, フィリップ ファーンバック
前回の途中から続き。進捗は30%くらい。iPhoneでKindle本を読み上げて貰いながら散歩した。
要約メモ。
・認知や思考は、頭だけではなく、外部の道具を使い、手を動かした方がよい。例えば計算をする際、頭の中だけで行うよりも、紙に書いたほうが簡単だ。思考は頭の中のみならず、物理世界を使った方が、一般的にはうまくいく。外部からの手助けがあれば、人はかなり無知ではなくなる。身体を含めた身の回りの世界が、外部の記憶装置・支援装置の役割を果たしてくれることで、それらがない時よりずっと賢くなる。(他人とのコミュニケーションで得られる気づきなども含める)
・人は集団意識の中で、他者や環境に蓄積された知識をベースに(無意識に)依存しながら生きているので、自分の頭でわかっているつもりの大部分は表面的なものである。一般的に人はコミュニティに属し、知識の認知的分担作業をコミュニティ全体で割り振っているのだが。(私は水洗トイレの構造はわからないが、気にしたこともないし、深く尋ねられない以上は知らないつもりもない)
- 「便利」は人を不幸にする / 佐倉 統
東大教授で進化学者の方の著書。
私は現時点で、基本的に「大きな幸福感は諦める、できるだけ目に見える不幸は避ける、ストレスはある程度まで必要として受け入れる」と言う方針なので、どれくらいの便利さでどれくらい不幸になるのかなと気になった。前提として、便利なことは善だと考えているのだけど(水汲みで一日費やすみたいな暮らししたくないし)、買い物が便利になりすぎた結果、検討不足で頭が軽くなってバカな買い物しちゃうみたいな本を昨日読んだばっかりだったので(9割の買い物は不要)、とりあえず読んでみることにした……と思う。話を進めるときの一人称が「ぼく」なのがメチャメチャ引っかかって、内容がいまいち頭に入ってこなかった。
『人は便利さを追求しすぎて技術が行き過ぎ、その技術の危機管理等の把握が個人にも社会にもできなくなってきているのではないか?(津波で被害のあった原発が代表例)』みたいな主張には「確かにもう誰が認識できる範囲を超えとるのよ現代技術は……特に原発はあんなヤバいもん誰か厳重な対策取っとるやろ思ってた(あっ知ってるつもりの進研ゼミで出てきたやつだ!)」となった。うーん。便利すぎると認知と知能が低下するみたいな話じゃなくて、そう言う意味での不幸という話、だろうか。ちょっと途中で飛ばし読みしてしまった。
でもまあ、かといって我々は便利さやその追求を失うわけにもいかないだろうし、多様性というムーブを終わらせる目処は立たないし(多様性って要するに情報過多だし、自分が認識できる範囲に事象が収まらなくなる代わりに、理解ではなくて許容という形で存在を許すことなんじゃないかと考えている)、まあこのエラーにまたエラーを積み重ねると寿命ってことになって死ぬのは生物も同じ仕組みだから、それで諦めるか……いや諦めちゃダメだな、どうしたものかな……と途方に暮れる感じは残る。このとっかかりを残しておくことしかできない。