「社会」の記事一覧

読書:アフリカ人学長、京都修行中 / ウスビ・サコ

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

最近はイベリア半島〜アフリカ周りの地理に興味があるので、なんとなくタイトルに惹かれて手に取ろうとしたところ、「そういえば、京都の大学ではマリ人の方が学長になられたとかいう話があったのでは?これか?」と急に思い出した。期待する気持ちで本を確かめたところ、まさにその方の著書だったので、心の中でガッツポーズをとってしまった。イエス!こういったところに日々の喜びがあるってワケ。

まあそれはさておき、2018年4月より2022年3月までの間、京都精華大学学長を務められた先生(Wiki調べ)の本である。

アフリカ人学長、京都修行中 / ウスビ・サコ

タイトルと表紙から感じる雰囲気の通り、読みやすい文体のエッセイ。京都の大学で学長を務めるくらいだから日本語が堪能なのも分かってはいたのだが、五カ国語を操るの凄すぎない?
数ページをめくって一番興味が惹かれたのが、専攻が空間人類学(建築と空間の関係性から見る人類学みたいなやつ?)だったことである。これも前々から気になっているジャンルで、イーフー・トゥアンさんの『空間の経験ー身体から都市へー』を積んでいることを思い出しちゃった……。この積み本もいずれは読まねばなるまい。

著者の母国であるマリと言う国は、アフリカ大陸の西側に位置する内陸国である。一夫多妻制で、大きな中庭を囲んだ家を持ち、その中で家族・親族合わせて100人くらい住まうことがザラだと言う文化らしく、そんなことある!?とビックリした。一夫多妻制の文化があるのは分かるのよ、でもそんな多人数で一箇所に住む!?一夫多妻制ってどういう家でみんなで住んでいるのか、ということを、今までちゃんと想像したことなかったなあと気付かされた。マリでは、そんな多人数が住まう家にある大きな中庭に、皆が集まって何かをすることが多いらしい。調理をすればその中庭はキッチンに、お皿を並べればダイニングに、椅子を置けばリビングとなる。このエピソードを聞いたとき「この空間の使い方、ちょっと日本と似てるかもしれない……!」と感じた。日本は狭い畳の上に、布団を敷いては寝室にし、布団を畳んでしまった後にちゃぶ台持ってきて食事どころに、その後は勉強をして、みたいなことしてたかもしれない。近代建築は一空間に一機能という傾向にあるようだが、そのあたりへの変化も込みでこういった話を聞くと、空間人類学に興味が出てくるな。

本の前半は、日本(京都)へ来ることになったきっかけについて、後半は実際に京都に30年以上住んでみて感じたことへの考察などについてを語られている。いやー、京都の生態についてメッチャわかった気になってしまった……。観光所はたくさんあるけれど、天皇に献上するための上質な品を作る職人も抱えている。ソトとウチの境界線を引くし、とにかく婉曲的なので高度なKYOTOリテラシーを要求されるが、彼らなりに気を遣ってくれてもいる。新しい考えも、一旦は受け入れる度量もある。特別これが知りたい!という目的があって手に取った本ではなかったのけれど、京都とマリのことを楽しく知ることができた。

そしてこれはなんのジャンルの本だ…?とりあえず「カテゴリー:社会」にセットしておく。

本を読み終わった後に見つけたウェブ記事なのだが、良い記事だったのでメモ。

読書:中学社会のなぜ?が1冊でしっかりわかる本 / 玉田久文

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クイズ形式の中学社会の本。地理・歴史・公民のジャンルからそれぞれ問いを出されるので、知っているものはそのまま、うろ覚えのものは頑張って答えらしき必死に考えてから解答をみる、と言う検索学習をするタイプのやつね。(頭の中で必死に思い出そうとするほど、その後の記憶力の定着も良くなる)

中学社会のなぜ?が1冊でしっかりわかる本 / 玉田久文

とりあえず、高校生向けは烏滸がましいから中学生向けの社会から……!と軽い気持ちで半分ナメてかかっていたら、結構…だいぶ…分からなかったので反省したい。

本「鑑真は何しへ日本に?」
私「誰!?!?」

本「勘合はなんのために使われた?」
私「勘合……なに?」

本「国際連合に、日本は何番目に加入した?」
私「知らね〜〜〜〜〜〜〜!」
本「80番目や」
私「マジで中学生こんなこと覚えてんの!?」

地理はまあまあ思い出せたり推理で凌げたりできたが、歴史が壊滅的にダメ、公民はまあまあダメと言うことが判明した。全体的にダメ。20%もちゃんと答えられなかった気がする。そんなあ〜!あんなに解説動画を見てたのに!?(その発想がもうダメなのよ)

とはいえ、1ページめくるごとに頭を必死に使って読む本とか普段そうそう読まないから(低レベル読書)、そう言う意味では程よい疲労感を覚える筋トレみたいな良本だった。またこういったシリーズを手に取りたい。

とりあえず、鑑真……誰だよ!(Googleに尋ねよ)

読書:ポルトガル史[増補新版](1) / 金七紀男

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今回手に取った本は、以前、黒田龍之介先生の『世界の言語入門』で見かけた「ポルトガル語はブラジル音楽のボサノバにも使われ〜」の一文から興味を持ち始めたポルトガルの、通史本。
本が結構厚くて、本を開いて10分後くらいに「待てよ、まずWikipediaでざっくり読んでしまえばよかったのでは?この本をちゃんと読み切ることできるのか?」と気づいてしまい、一瞬にして心が折れかけてしまった。
だ……大丈夫か?私のポルトガルへの認識は、スペインの隣国、十字軍、カトリック教徒が9割、修道院が王族貴族と癒着を起こしてなんか権利を廃止された、修道院由来の古きよき伝統のお菓子がいっぱい残ってる、スペインとブイブイ言わせた航海時代、アフリカに植民地がいっぱいあったやつ、ポートの語源になった港がある、日本の南蛮貿易、シュガーロードとカステラ・鶏卵素麺・ぼうろ等の菓子、ブラジル音楽のボサノヴァはブラジルポルトガル語、くらいの知識しかないが……いや結構あるな。ポルトガルの菓子図鑑を読んだことが思ったより功を奏していた。これだけ知識あるならこの本も余裕で行けるんちゃうか?ガハハ!気を取り直して、いざ鎌倉!


Google Earthでポルトガルの地域を逐一確認しながら読み進める。とりあえず、1回目はざっくり読んで気になるところだけメモし、細かいところ等は2回目を読むであろう未来の自分に期待するという戦法で挑む。

・北部と南部は、地理的にも大きく違い、地理が違うので気象も違い、文化も違い、と結構別れてる。そんなに別れる?ってくらい別れてて、逆になぜ国として別れていないかの方が気になってきた。

・ピレネー山脈を超えてイベリア半島にやってきたケルト人!ケルト人ガッツありすぎじゃない?

・ピレネー山脈を超えてイベリア半島にやってきたローマ人!ローマ人もガッツあるよな、あのピレネー山脈を越えるなんて……ん?と、ポエニ戦争時、カルタゴのハンニバルがアルプス越えをしてローマに攻め入ったという歴史知識とうっすら混じってしまい、一瞬混乱してしまった。アルプス山脈とピレネー山脈への認識が混じっとるし、ハンニバルはカルタゴ人であってローマ人ではない(ローマへ攻め入った側だよ)。ピレネー山脈ってもしかして、意外と超えやすい?いや、そもそもアルプス山脈はどこだ。アルプスの少女ハイジは、確かスイスの話だったと思うから、ええっとGoogle Earthで調べて……いや、カルタゴもどこだよ……ちょっとここでアルプス越えの認識を正そう……と脱線してしまうこともしばしば。最終的に、ハンニバルはアルプス山脈とピレネー山脈の両方を超えてアルプス越えを達成していたことがわかり、混乱の元凶に憤りを覚えてしまった。この!こいつ!こういうのが世界史を追う醍醐味だとは思うが、ポルトガル史が一向に進まなくて泣いちゃった。

そういえばドリフターズに出てきたので覚えているのだが、ハンニバルを打ち破ったスキピオ、ググってみたらフルネーム「スキピオ・アフリカヌス」じゃん。もしかして、カルタゴがアフリカ大陸側にあったことと何か関係がある?ん?でもスキピオは確かローマ人だよな……と急に疑問が湧いてしまい、軽くググることに。この本、まだ24Pしか進んでないんだが?本筋に戻りてえ〜〜!(アフリカヌス=アフリカを制したもの、アフリカ大陸サイドにあったカルタゴを打ち破ったことから付けられた第三の名前、たぶん覚えた)
あとついでに、ドリフターズの最新話がどこまで進んでるのかを確認しました。2002年は今の所、掲載したのは2回?そう……(諦念)

とりあえず、本の1/10のにあたるところまで読み進めたところで、今日はここまで。

  • 第一章 環境(北と南、農村の生活様式、石の文化と粘土の文化)
  • 第二章 建国前のポルトガル(先史時代、ローマ文明の伝播、ゲルマンの支配)
  • 第三章 イスラムの半島支配とレコンキスタ(イスラム文明の開花、レコンキスタの展開)

わかるようなわからないような歴史のカタカナが沢山出てくるが、とりあえず分からないまま飛ばすしかない……!2回目以降の私に期待しよう!

でもやっぱり、分からないなりに、この手の本を楽しく読めるようになってきているのは成長だと思う。何とか読み切り、歴史関係の語彙?用語のレパートリー?を肥やしていきたい。

読書:面白くて眠れなくなる地学 / 左巻健男

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最近、地理に興味が出てきたので手に取った本。
人生で地理に興味が出てくることなんてあるんだ…世界史がなんとなくわかってきた結果、世界地図を見ることも面白くなるなんていう日が来るという想定は今までなかったのだが、まあ興味があるうちに初心者向けのものから見て勢いをつけようという魂胆である。

面白くて眠れなくなる地学 / 左巻健男

・アトランティスの存在について言い出したのはプラトン。そのアトランティスを発見したと主張したのは、かのトロイアの遺跡を発見したシュリーマンの孫であるらしい。シュリーマンの名前は聴き終えあるな〜と思っていたら、確か日本にも来たことがある人で、アジア旅行記みたいなの残してなかった?孫も似たようなことやってんだな、と思ったら、シュリーマンと違って孫はだいぶアレだったらしい。とりあえず、地質学的には、大西洋にアトランティスが存在したと言える痕跡はないとのこと。

・超大陸パンゲア。元々大陸は一つだった。プレートテクトニクス論で補強されたのね。この本を見ながらGoogle Earthで日本のプレートも見てみたんだけど、こんなの怖すぎんか?こんなズレの隙間にぎゅうぎゅうにプレートを詰められたら、地震なんて起きるに決まってるんだよな。

・山の出来かたは大まかに2種。火山の噴火でできるタイプ(例:富士山)、地面にしわがよってできるタイプ(例:日本で2番目に高い山、北岳)。なんとなくなんだけど、地面にしわが寄ってできるタイプは、崖があったり、上下の高低差が激しい地形が多そうで、登山家の漫画『孤高の人』の主人公が、日本一高い富士山より2番目に高い北岳を攻めていたのはこういう理由なのかも!と今になって納得してしまった。

・磁石のS極、N極の話。地球を大きな磁石として捉えたとき、北(North)がN極、南(South)がS極であろうと思い込んで疑っていなかったのだが、実際のところ現在は、「N極が南」「S極は北」とのこと。そんなことある!?!?じゃあSとNはなんの略だよ!?紛らわしいなあ!と思っていたら、そもそも地球の磁極は反転することがあるらしい。77万年前にひっくり返ったり、258万年くらいに更にひっくり返ったりしていたというのが地層の状況で分かったとのこと。これが一番びっくりした話かもしれない。

・スノーボールアース仮説。これは有名なやつだ!解説動画で見たことがある。過去に地球の平均温度が−40度になったことがあるってやつね。なぜ地球が全て凍りついたのかは原因が特定できないようだけど、その地球が凍りついた状態から温暖な気候に戻るまでに発揮した温室効果ガスの効力というか、そういうものが少しは理解できるようになる話だった。あとは、やっぱ極端に寒くなると生物は絶滅期に入るが、同時に環境の変化は強力なターニングポイントにもなる傾向にある、というのも面白かった。これはこの本の話にはないのだが、恐竜は人間史よりも長く種として生きていたが、人間ほどの知能を持たなかった。温暖な気候だと植物が繁栄し、食糧に困らなくなるので、知能をあげずとも生きていける。しかし、寒くなると食糧の取得が困難になってゆき、生きるための工夫や、食い扶持を減らすための同種の間引きが必要になっていき、それが人間が知恵をつける要因の一つになったのではないかという話もあったような気もする。面白い。

・最後の方に、火星のテラフォーミングについての話も出てきた。「Surviving Mars」という火星テラフォーミングゲームに熱中していた時期があり、楽しく読めたのだが、やっぱ色々現実的ではなさそうだなあ。火星をテラフォーミングして移住してみよっか!みたいなのは、大体地球の資源が枯渇するとか環境が悪化するとか、そういうのが主な要因となると思うのだが(人口爆発の可能性はもう無くなってきたしな)、その上でどえらい量の地球資源を使って火星を開発する前に、まだやることがあるのでは…‥火星調査の人間がいくのはいいが……みたいな空想に時間を使ってしまった。やっぱ人間こういうのが好きなんだろうな。

以上!

やっぱ聖書からは逃れられないのか?

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『ちびくろサンボ』絶版を考える / 径書房編集部

前回の続きから。読了。

▼前回

やっぱ全人類「ひぐらしのなく頃に」を履修しておくべきなんだよやっぱ全人類「ひぐらしのなく頃に」を履修しておくべきなんだよ

絵本ちびくろサンボの「サンボ」が蔑称だということで論争が巻き起こった絶版騒動、なんやかんやで「絵本の少年はインド人、インドではサンボは普遍的な名前」というネタが本の付録のコーナーで出てきてしまったので、もうこれ以上、この前提がなかった時代の揉め事を聞くのはしんどいが?と思って寝かせてしまっていた。しかしながら、まだ200P近く残りのページがあったので、なんとか重い腰を上げて読み切った。以下メモ。

この絵本を差別問題とこじつけるのは大人の都合であって云々の理屈で、再度出版に踏み切った会社もある。もちろん日本の差別反対団体の抗議も受けたが悉くスルーし、差別を受けたと主張している当のアフリカ民族会議の駐日代表の抗議にも、電話で「あなたの見方がおかしい」と返した。差別とは「痛み」というものを感じる人が一人でも声を上げれば成り立つのか?

昔の英辞典には「サンボ=蔑称」という記述はないが、最近の英辞典にはそのような記述がある。のろま、知能が低い、猿を意味するなど。国や場所、歴史背景から、同じであるはずの言葉が、違う意味を持ち始める。ポジティブな意味で普及している国に住む人にはなんともないが、ネガティブな意味に変わった言葉が普及しまって場所では違う風に捉えられてしまうこともある。時代と共にネガティブな意味を持つようになってしまった言葉に過剰反応したり、それに露悪的な態度で改悪した絵を添えたり、皆同じ時代背景を認識していないといったことも、事態を複雑にした要素の一つではあるが、それが全てとも言い難い。例えば、ちびくろサンボの原題は『The Story of Little Black Sambo』であるが、日本人は『Little Yellow Monkey』と書かれた吊り目の軍人やゲイシャが出てくる絵本が出てきたら、同じように思えるか?その本がインド人のよくある名前のサンボくんの物語だったとしても、出版にあたってステレオタイプの黒人像に絵を変更された絵本を、奴隷時代に「おいサンボ!」と揶揄われ続けてきた黒人が見たら、そしてその息子が学校で「サンボ」というあだ名をつけられて泣きながら帰ってきたら、絵本を配給する側に配慮してほしいというのは当然のことでは?「あなたと私は違う人種」という強烈なメッセージである。聖書でも取り扱うテーマなので問題が根深い。
しかしながら、インド人から見た絵本の見方もまた違うことであることも、同時に気に留めねばならない。それにちびくろサンボが好きな黒人もいる。それを気に入らない人もいる。人種によってその傾向はあるが、個人としてもまた違う意見を持つ。などなど。

つまり、己の認知の負荷を下げるために、過度に一般化して(「ちびくろサンボは黒人差別の絵本だから絶版は止むを得ない」)、問題を「だから当然ダメ」の一言で済ませるのは悪手になりうる。
人を一人理解するにも、今日明日、今この瞬間に変貌するその人の人格に対して、常に変化し続ける評価をもたなくてはならないというのは、あまりに負荷がかかることである。一生をかけて一人を理解するよりは、1つのステレオタイプで「日本人(1.2億)は全員メガネで慇懃無礼」みたいな雑な理解をしておく方が圧倒的に楽だ(それが普段、使う機会のない概念であればなおさら)。ただ、今回の問題は、その「楽」な方へと全体が舵を切り続けた結果、問題が拗れたとも言える。立ち止まって考える、その機会と意識は、事情が許す限りは少し持たなくてはならないのでは。

そういった意味でも、「差別問題だからと訴えられた」から即座に絶版してなかったことにするのも、出版側の悪手なのかもしれない。本にはこう書いてあった。差別用語をなくしても差別意識はなくならない。表にある、外に出ている「有害」は消せたとしても、人間のフィルターまで消せるわけではない。問題から目を逸らしても問題がなくなるわけではなく、嫌々ながら正面から格闘をする必要もあるだろう。ただまあ、売る側もイメージ商売ではあるし、恒久的に対応し続けなくてはいけない問題を抱えるのは、負荷のかかることだしなあ、と考えると、やっぱ止むを得ないのかな……。高尚な倫理観を出版側に期待するのは勝手だが、まずそんなことを他者に期待するのではなく、自分からできることを考えた方がまだ生産性があるのでは?と言われれば、それは確かにそうだもんな。

とにかく負荷のかかる問題ではある。日本は「黒人差別」と言われると、あまり身近なこととは考えられないかもしれないが、「男女差別」と言われると急に「うわ……この話題には近寄らんとこ……」と面倒に感じてしまうもんな。大体のことには優位も劣等もなく、人間の認知の歪みでそのような錯覚を起こしているだけなのだが、その思い込みで実害が出ていると感じている以上、それが論拠になってしまうのもわかる。だからと言って、そのように、答えも出なければ、他者の理解も得にくい、ただただ自分を含めた人間の無知さ・愚かさを直視し続けるような行為も辛い。もっと他に、楽しくなれるような遊びなんていっぱいあるもんな。

本の中にもあったが、結局のところ、「サンボ」という言葉の意味が問題ではなく、その道具を用いて他者を傷つけるために振り回す人間がいる、ということが問題なのだろう。そしてその幻視を見て、勝手に心が傷ついてしまうことにまでは、誰も責任が持てない。また、過度に一般化をしてレッテルを貼り、何も考えもしなければ偏見も改めないなど、己の認知負荷を下げる行為はおおよその生物の本能とも言えるので、その人が悪いわけでもない。どうしたらいいのか、見当もつかない。だからこそ、安易に結論を出してしまうことはできる限り避けて、悩みを保留し続けることを、諦めるしかないのかも。