「民話・風俗史」の記事一覧

読書:民俗学入門 / 菊地暁

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この系統の本を読むと絶対に出てきて「親の顔より見た柳田國男!」と読者が思わず毒づくことでお馴染みの民俗学、その入門の手引書となる本(?)。いかにも昔からありそうな、流行に左右されない硬派なタイトルかつ岩波新書の本だったのだが、よく見たら2022年発刊だったので得した気分になった。

民俗学入門 / 菊地暁

読む前の予想としては、「まあ3回くらいは柳田國男先生の名前出てくるだろうな〜」くらい感覚だったのだが、まさかその10倍出てくるとはな。やっぱ避けては通れないのか、柳田國男先生の築いた道は……!というあるあるネタはさておき、民俗学とはどういう事柄を取り扱うのか?について分かりやすく纏められており、ちょっと民俗学に興味を持っただけの私でも最後まで読むことが出来た。人々が営む生活そのものを学問にしたようなもの、という認識でいいのかな。以下メモ。

▼くらし(衣食住)
生物が必要なのは「食」が一番、「住」が二番、それなのに衣食住の単語は「衣」を最初に持ってくる。アダムとイブが楽園で知恵をつけた時にすぐ手に入れたのはイチジクの葉という「衣」であり、衣類は人間を人間とする文化の根源、ヒト族らしさの現れ……という流れでぐっと来た。ところでこれ。

続けて食文化、住居と、人が生活する上で避けて通れない、それ無くしては生きていけない事柄の説明。昔と違って、団地などの近代の住居は、棺桶の出入りや仏壇の置き場を想定していない、生きる時だけ使う場所となって死ぬことが頭にない、ということは養老孟司先生も言っていたなあ。

▼なりわい(働く、運ぶ、取り替える)
世界は誰かの働きで出来ている。家の中で閉じこもっていたとしても、水ひとつ、食器ひとつ、食べ物ひとつ、何をとっても自分以外の誰かの働きで成り立っている。自由な旅をするにしても、遠く、早く、安全に、快適に、そのような方法で行こうとすればするほど、誰かの労働力と社会のシステムに依存していることになる。みたいなことかな。経済の基本はAからBへの移動であると同時に、取り替えることもセットなんだなあ、と教えて貰った。

▼つながり(血縁、地縁、社縁)
私が一番興味ないやつだ……人間関係好きじゃないし……と思いながら読んでいたのだが、結果的に一番メモを書いていたところ。
日本の政治家が言う「夫婦別姓は家族の繋がりを失わせる」というのは感情論だよね、なぜなら家長制度の中国は同姓不婚だし(初めて聞いた言葉だが!?)、韓国も夫婦別姓だよね(妻は父方の姓名を名乗らせられる)、みたいなのがめちゃくちゃ面白かったらしい。同姓不婚!?!?一族の者とみなせる血縁関係での夫婦はダメなんだ!?家長イメージが強い中国先輩や韓国くんがそうやっているのならマジで問題ないのでは……と言う気持ちにさせられた。
あと、昔は子沢山!とよくいうヤツ、私としては「子供=労働力とカウントできていた時代のことだよな〜、人間って単純にマンパワーという労働力だから、あればあるほど家が強いのはわかる」と言う印象はボンヤリとあったものの、この本を読んで細部のイメージができるようになったかも。そうか、生産と消費が10〜30人の一家を経済圏として行われていたのか。家族全体で畑を耕し、家族全体を養うどころか、余れば魚や果物・生地と交換が可能。労働力が足りない他所に差し向ける人材が手元にあれば、何かしらの交換が出来てより豊かになれるし、ツテも作れる。子供がいればいるほど豊かになれるから、子沢山で運営できる伝統があった。それに比べれば、今は子供を作れば作るほど貧しくなるビジョンなのでは?と。昔は子供がいればいるほど豊かになれた。それはスケールを大きくしても同じで、国も子供が居ればいるほど豊かになれるのだが、家庭内ではそうはならなくなったからか……と言うイメージができたことで、大変タメになったと言える。このコーナーだけ感想メモの文字数が多い!

ともあれ、なんでも自由化が進む昨今、伝統が薄れて、当てはまるべき型が無くなったのは良いとも悪いとも取れる、そういうことを考えさせられるジャンルだとは考えていなかったので、とても面白く読めた本だった。

読書:ビーチコーミングをはじめよう―海辺の漂着物さがし / 石井忠

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以前、何気なく読んだ『日本の渚』という本が予想外の面白さだったことを覚えており、同じようなジャンルならこの本も面白いのでは?と言ったような動機で手に取った本。イラストや写真が多く、海に纏わる民話や事象の説明があり、フィールドワークを記述したものとはいえ学者さんによる厳密な考証ではないため、気軽に読めた。

読書:日本の渚 -失われゆく海辺の自然- / 加藤真読書:日本の渚 -失われゆく海辺の自然- / 加藤真

ビーチコーミングをはじめよう―海辺の漂着物さがし / 石井忠

ビーチコーミングという言葉を全く聞いたことがなかったので、定義をググったところ、以下の通り。

ビーチコーミング(Beach combing)とは、海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象にしたり観察したりする行為。漂着物を加工したり標本にしたり装飾にしたりして楽しむ。

Wikipedia – ビーチコーミング

私は海の近くに住んでいるので、海辺に流れ着いた面白い漂着物(ゴミ含む)は、よく目に入る。ハングル語で書かれた面白い飲み物のペットボトルや、大きい貝殻など、なんとなく反射的にカメラを向けてしまうこともあった。そんなノリが講じた有志によるフィールドワークがビーチコーミングなのかな。私はそこまで漂着物に興味関心を持ったことはないのだが、この本で紹介されている漂着物は多種多様で面白かった。次に海辺へ行く際は、漂着物にもっと目を向けてみようと思う。

以下、面白そうだったものメモ。

・海漂器:瓶に手紙とかが入っているヤツねと思っていたら、政治宣伝ビラと、それを読んでもらう為の日用品などが入ったメディアとして使われていた瓶が海漂器というらしい。まだインターネットがなかった時代の政治メディア…!!

・アメリカからのビン:今度こそ瓶に手紙とかが入っているヤツねと思っていたら、海流か何かの調査の一環でアメリカから放たれたものらしい。どこに辿り着いたのかのお手紙を出して欲しいらしく、切手代として1ドル入ってることがあるようで、これはまだ良心的と言える。

・巨人:大昔、3mの女のような巨人の遺体が流れ着いたことがあったらしい。巨人!?!?急に世界観変わったが大丈夫か、ここは日本だが!?と思っていたら、まあ多分クジラか何かでしょう、とのこと。こうやって民話は作られるんだなあ。

・マンモス:急にマンモスってタイトル出てくるの笑ってしまうのよ。正確にいうと、マンモスの化石(奥歯?)が漂流物として流れ着いたことがあったらしい。

こんなところかな。趣味・愛好としてのビーチコーミングについてがメインの話題になるので、以前読んだ『日本の渚』の先生みたいな、「決して人間を滅ぼせる力を与えてはいけないタイプだなこの人」みたいな的な雰囲気は感じない(『日本の渚』では、環境破壊しまくる人間への怒りを終始感じていた)。と思ったら、やはり海の悲鳴が聞こえてしまうようで、最後の方で海の自然破壊、プラゴミ問題などに触れていた。分かる……海へ行くと、人は愚かな人間を滅ぼしたくなってしまうのかもしれん……(ゴミとか多いし……)