「社会」の記事一覧

読書:ヒッタイトに魅せられて / 大村幸弘、篠原千絵

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

学生のころ、日本の女子高生が紀元前14世紀のヒッタイト帝国にタイムスリップしてなんやかんや成り上がる少女漫画『天は赤い河のほとり』を読んでいたことがあったので、この本を見たときは「ヒッタイトか〜懐かしいな〜」くらいの気持ちで手に取ったのだが、その『天は赤い河のほとり』の著者・篠原千絵先生と、実際にヒッタイトの周りで発掘を行なっている日本の考古学者・大村幸弘先生の対談本であることが発覚し、びっくりして読み進めてしまった。な、なぜ今になって?漫画が無事完結してから10年以上は経っとらんか?とは思いはするものの、対談本の合間に挟まれる篠原先生の絵柄に懐かしさでいっぱいになってしまうなどした。天は赤い河のほとり〜!私に、悪女とラムセス二世と予防接種の大切さを教えてくれた漫画!

ヒッタイトに魅せられて / 大村幸弘、篠原千絵

本を読み進めて、すぐにビックリしたことなんだけど、ヒッタイトって今のトルコの位置にあたるんだ。……エッ?ということは、2023年2月に起きたトルコ・シリアの大地震でトルコの遺跡も相当被害に遭っているのでは?ということに気づいてしまい、大変ハラハラしながら読み進めることとなった。

以下メモ。

・まず、日本がトルコの遺跡の発掘権を買ってデカめの施設を建てていた(アナトリア考古学研究所)ということ自体が初耳だったので、海外の遺跡の発掘調査するって本当に大変なんだなあ……という当たり前の感想が浮かぶ。トルコ大学の重鎮の先生方や、日本の皇族の殿下のお力がなければ、トルコからの信頼を得たりすることも、発掘費用を集めたりすることもできず、遺跡の発掘権を得ることができない。確かになあ。海外の考古学者が単身で乗り込んで遺跡発掘なんていうことはできないよなあ。他国の遺跡を発掘しようとすると、政治的な交渉と現地の理解が欠かせないらしい。また、遺跡発掘を進めるにあたって現地住民を大量に雇う必要があるらしく、雇用問題も起きるとのこと。

・対談者である大村幸弘先生は、考古学者としての己の目的のみでこの遺跡発掘を行おうとはせず、長期的に次世代の若手を育てるためであったり、動物考古学や地学、保存修復、形質人類学等といった他分野の学者との交流を図るためであったり、また現地の住民の雇用を生んだり、現地の子供達に直に歴史の欠片を触らせたりと相互理解に努めつつ、四苦八苦しながらさまざまなアプローチを試みておられる様子。エッ素晴らしいな…。

・漫画『天は赤い河のほとり』の男主人公のモチーフになった人物、ヒッタイトの王・ムルシリ2世のペスト祈願文書の解読が、漫画の連載終了にできて、内容が「神々にペストをなんとかしてくれという祈願、悪いのは父であって私たちではない、なぜ私がその罪を受けねばならないのか」みたいな切々と神に哀願したものだったので、著者が「これを連載中に知っていたら少し情けない性格にしてたかもしれない」的なコメントをしていて、笑ってしまった。

・でも、隣国のエジプトは「俺ことファラオが神!ファラオは絶対!」というような文化なのに、この文化的な違い(ヒッタイトでは、王であるこの身は人であり、神々に希う下々のものであるという自覚が王にある)は確かに面白い。考古学者の先生は、「エジプトの遺跡は黄金のマスクとか金銀財宝とか出て、それを元にエジプト展とかで集客できるのに、ヒッタイトは粘土板や土器ばっかり出て地味です」みたいなのも涙してしまった。確かにな……。製鉄や粘土板の話は聞くが、ヒッタイトやトルコから派手なものが出たって印象はない。

・意外だったのは、トルコといえば黒海にも地中海にも面していてユーフラテス川もあるのに、水資源とは関係のないバチバチの山岳地帯にヒッタイトの首都があったらしいこと。なんでよ?という疑問に明確な答えはないのだが、山岳地帯は強い風が吹く→製鉄に必要な1000度を超える高温の火を用意するのに風を用いた?みたいな仮説が出てきて、ちょっと興味深かった。

・あと、ヒッタイトの首都、冬はマイナス15度になるくらい寒いらしい。エ!?エジプトの近くってんで、てっきり年中温暖な気候だと思っていたが!?

・欧米の学者たちはやっぱり強い。歴史もある。余裕もある。世界中の小麦のサンプルとかを持っているので参照力がある。強い。

・ヒッタイト=製鉄技術でブレイクスルーを起こした連中ってイメージだったが、鉄はそんなに遺跡から出てきてないらしい。鍛治所も見つかってないとのこと。そんなバカな。じゃあなんでヒッタイト=鉄!ってイメージがあるんだよ、と思ったら、一応鉄にまつわる書簡(粘土板)みたいなのが遺跡から出てきて、「鉄の武器は今製作中なんで追々送りますよ」と記されていたことが確認できてたからっぽい。書簡(粘土板)は強い。

・カムメンフーバー先生とおっしゃる方が、来日されて、奈良のお寺の仏像のそばにあるサンスクリット文字を見て「これはインド・ヨーロッパ語族、つまりヒッタイト語とも結びつきがある」とコメントしたくだりは胸を打たれた。世界は繋がっとる…!

・最終的にヒッタイトは、海の民に滅ぼされた、天災があった、病疫や飢餓があったなど諸説あるもののこれといった原因が特定できないまま滅びたわけだが、漫画を描かれた篠原千絵先生は、その滅びた後である現在のトルコの遺跡の荒びを見て、「最終回のシーンはこの風景だ」と連載前から決めていたらしい。篠原千絵先生、自分の漫画のことはさておいて、ずっとヒッタイトに関する質問を考古学者の先生に投げ続けており、本当にヒッタイトに魅せられていたんだなあと思えた。今はオスマン帝国の漫画を連載中であるとのこと。機会があったら読んでみたい。

以上。昔に愛読していた漫画を思い出してとても懐かしかったし、考古学・遺跡発掘の知見を得ることもでき、めっちゃ面白い本でした。

読書:はじめての動物地理学 なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの? / 増田隆一

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私がこの世で恐ろしいと思っている存在の一つに「人肉の味を覚えたクマ」があるわけなのだが(吉村昭の『羆嵐』を読んだばっかりに)、そのせいもあってか、この本のサブタイ「なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの?」に意識が引っかかってしまった。確かに北海道のクマ=ヒグマという認識ではあるものの(羆嵐、ゴールデンカムイの影響により)、ツキノワグマって日本のどこからがツキノワグマなんだ…?という疑問を持つにいたり、手に取ってみることにした本。

はじめての動物地理学 なぜ北海道にヒグマで、本州はツキノワグマなの? / 増田隆一

そもそも『動物地理学』ってなんだろう、虎は日本にはいないのは何故かみたいなヤツ?と大雑把な認識で読み始めたのだが、前書きの説明曰く「動物が、大昔から、地球上をどのように移動してきたか(パンゲア大陸移動説を含む、大陸の分割・結合による影響があり、その土地に適応しようとした種の進化がある)」「世界のどこにどのような動物が分布しているか」ということを考える学問らしいことが分かった。

サブタイにあったように、日本にあったクマの種類の分布を見ると、大雑把に「ヒグマ=日本では北海道にのみ生息し、以南の日本には居ない」「ツキノワグマ=北海道以外の本州・四国・九州に生息し、北海道には居ない」となる。この二種のクマは、津軽海峡でスッパリと分布が分かれて、これが何故なのか?という疑問に対し、動物地理学は以下のように推測を立てる。

・地球が氷期の時代に入ると、海峡が浅いところは、氷や諸々の条件で陸化して大陸同士が繋がる。世界的に見て、ヒグマは亜寒帯に生息し、ツキノワグマは暖かい地方に住むので、大陸がつながっていた時に、ヒグマは北の大陸側から、ツキノワグマは朝鮮半島を経由して、などと各々上下から入ってきて、温暖化と共に陸化していた箇所が海に戻ると分断されたのではないか?

・北海道と本州北端(青森県)を繋ぐ津軽海峡は、有名な動物地理境界線(ブラキストン線)がある。動物地理境界線(ブラキストン線)とは、その線を境目に、動物の種類が大きく異なるラインである。津軽海峡は、海底200mを超えるため、氷期でも陸化できなかったっぽい。よってヒグマは、氷期であってもこの線より南下して本州には辿り着けず、またツキノワグマもこの線より北上して北海道には辿り着けなかった。(正確にいうと、大昔のヒグマの化石が本州で見つかったこともあるが、縄文時代以降は発見できないため、本州に渡ったヒグマは絶滅した)

・よって、北海道=ヒグマ、それ以外の本州はツキノワグマが分布し、今に至ることとなった。

というような感じで説明できるっぽい。(ふんわりとした理解)

大陸の移動や、氷河期・温暖化の諸々の条件によって動物の分布や移動、進化や固有種ができるなどなど、確かにこれは「動物地理学」だ…!と納得ができて面白かった。

その他クマ以外の動物地理学の話題も多々出てきており、進化と変態の違い、寒い地方に住む動物の体躯が大きくなる理由、クジラは陸から海に戻った種でカバに近い説がある(ペンギンで見覚えのある流れ)、外来種の定義、パンデミックに至るまでなどなど、総じてどの話題も興味深く読める良い本だった。動物、植物、地理の地球史欲張りセットと言える。

読書:民俗学入門 / 菊地暁

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この系統の本を読むと絶対に出てきて「親の顔より見た柳田國男!」と読者が思わず毒づくことでお馴染みの民俗学、その入門の手引書となる本(?)。いかにも昔からありそうな、流行に左右されない硬派なタイトルかつ岩波新書の本だったのだが、よく見たら2022年発刊だったので得した気分になった。

民俗学入門 / 菊地暁

読む前の予想としては、「まあ3回くらいは柳田國男先生の名前出てくるだろうな〜」くらい感覚だったのだが、まさかその10倍出てくるとはな。やっぱ避けては通れないのか、柳田國男先生の築いた道は……!というあるあるネタはさておき、民俗学とはどういう事柄を取り扱うのか?について分かりやすく纏められており、ちょっと民俗学に興味を持っただけの私でも最後まで読むことが出来た。人々が営む生活そのものを学問にしたようなもの、という認識でいいのかな。以下メモ。

▼くらし(衣食住)
生物が必要なのは「食」が一番、「住」が二番、それなのに衣食住の単語は「衣」を最初に持ってくる。アダムとイブが楽園で知恵をつけた時にすぐ手に入れたのはイチジクの葉という「衣」であり、衣類は人間を人間とする文化の根源、ヒト族らしさの現れ……という流れでぐっと来た。ところでこれ。

続けて食文化、住居と、人が生活する上で避けて通れない、それ無くしては生きていけない事柄の説明。昔と違って、団地などの近代の住居は、棺桶の出入りや仏壇の置き場を想定していない、生きる時だけ使う場所となって死ぬことが頭にない、ということは養老孟司先生も言っていたなあ。

▼なりわい(働く、運ぶ、取り替える)
世界は誰かの働きで出来ている。家の中で閉じこもっていたとしても、水ひとつ、食器ひとつ、食べ物ひとつ、何をとっても自分以外の誰かの働きで成り立っている。自由な旅をするにしても、遠く、早く、安全に、快適に、そのような方法で行こうとすればするほど、誰かの労働力と社会のシステムに依存していることになる。みたいなことかな。経済の基本はAからBへの移動であると同時に、取り替えることもセットなんだなあ、と教えて貰った。

▼つながり(血縁、地縁、社縁)
私が一番興味ないやつだ……人間関係好きじゃないし……と思いながら読んでいたのだが、結果的に一番メモを書いていたところ。
日本の政治家が言う「夫婦別姓は家族の繋がりを失わせる」というのは感情論だよね、なぜなら家長制度の中国は同姓不婚だし(初めて聞いた言葉だが!?)、韓国も夫婦別姓だよね(妻は父方の姓名を名乗らせられる)、みたいなのがめちゃくちゃ面白かったらしい。同姓不婚!?!?一族の者とみなせる血縁関係での夫婦はダメなんだ!?家長イメージが強い中国先輩や韓国くんがそうやっているのならマジで問題ないのでは……と言う気持ちにさせられた。
あと、昔は子沢山!とよくいうヤツ、私としては「子供=労働力とカウントできていた時代のことだよな〜、人間って単純にマンパワーという労働力だから、あればあるほど家が強いのはわかる」と言う印象はボンヤリとあったものの、この本を読んで細部のイメージができるようになったかも。そうか、生産と消費が10〜30人の一家を経済圏として行われていたのか。家族全体で畑を耕し、家族全体を養うどころか、余れば魚や果物・生地と交換が可能。労働力が足りない他所に差し向ける人材が手元にあれば、何かしらの交換が出来てより豊かになれるし、ツテも作れる。子供がいればいるほど豊かになれるから、子沢山で運営できる伝統があった。それに比べれば、今は子供を作れば作るほど貧しくなるビジョンなのでは?と。昔は子供がいればいるほど豊かになれた。それはスケールを大きくしても同じで、国も子供が居ればいるほど豊かになれるのだが、家庭内ではそうはならなくなったからか……と言うイメージができたことで、大変タメになったと言える。このコーナーだけ感想メモの文字数が多い!

ともあれ、なんでも自由化が進む昨今、伝統が薄れて、当てはまるべき型が無くなったのは良いとも悪いとも取れる、そういうことを考えさせられるジャンルだとは考えていなかったので、とても面白く読めた本だった。

読書:ビーチコーミングをはじめよう―海辺の漂着物さがし / 石井忠

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以前、何気なく読んだ『日本の渚』という本が予想外の面白さだったことを覚えており、同じようなジャンルならこの本も面白いのでは?と言ったような動機で手に取った本。イラストや写真が多く、海に纏わる民話や事象の説明があり、フィールドワークを記述したものとはいえ学者さんによる厳密な考証ではないため、気軽に読めた。

読書:日本の渚 -失われゆく海辺の自然- / 加藤真読書:日本の渚 -失われゆく海辺の自然- / 加藤真

ビーチコーミングをはじめよう―海辺の漂着物さがし / 石井忠

ビーチコーミングという言葉を全く聞いたことがなかったので、定義をググったところ、以下の通り。

ビーチコーミング(Beach combing)とは、海岸などに打ち上げられた漂着物を収集の対象にしたり観察したりする行為。漂着物を加工したり標本にしたり装飾にしたりして楽しむ。

Wikipedia – ビーチコーミング

私は海の近くに住んでいるので、海辺に流れ着いた面白い漂着物(ゴミ含む)は、よく目に入る。ハングル語で書かれた面白い飲み物のペットボトルや、大きい貝殻など、なんとなく反射的にカメラを向けてしまうこともあった。そんなノリが講じた有志によるフィールドワークがビーチコーミングなのかな。私はそこまで漂着物に興味関心を持ったことはないのだが、この本で紹介されている漂着物は多種多様で面白かった。次に海辺へ行く際は、漂着物にもっと目を向けてみようと思う。

以下、面白そうだったものメモ。

・海漂器:瓶に手紙とかが入っているヤツねと思っていたら、政治宣伝ビラと、それを読んでもらう為の日用品などが入ったメディアとして使われていた瓶が海漂器というらしい。まだインターネットがなかった時代の政治メディア…!!

・アメリカからのビン:今度こそ瓶に手紙とかが入っているヤツねと思っていたら、海流か何かの調査の一環でアメリカから放たれたものらしい。どこに辿り着いたのかのお手紙を出して欲しいらしく、切手代として1ドル入ってることがあるようで、これはまだ良心的と言える。

・巨人:大昔、3mの女のような巨人の遺体が流れ着いたことがあったらしい。巨人!?!?急に世界観変わったが大丈夫か、ここは日本だが!?と思っていたら、まあ多分クジラか何かでしょう、とのこと。こうやって民話は作られるんだなあ。

・マンモス:急にマンモスってタイトル出てくるの笑ってしまうのよ。正確にいうと、マンモスの化石(奥歯?)が漂流物として流れ着いたことがあったらしい。

こんなところかな。趣味・愛好としてのビーチコーミングについてがメインの話題になるので、以前読んだ『日本の渚』の先生みたいな、「決して人間を滅ぼせる力を与えてはいけないタイプだなこの人」みたいな的な雰囲気は感じない(『日本の渚』では、環境破壊しまくる人間への怒りを終始感じていた)。と思ったら、やはり海の悲鳴が聞こえてしまうようで、最後の方で海の自然破壊、プラゴミ問題などに触れていた。分かる……海へ行くと、人は愚かな人間を滅ぼしたくなってしまうのかもしれん……(ゴミとか多いし……)

読書:砂糖の日本史 / 江後迪子

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日本の都道府県の位置を当てる地理クイズで、九州の各県の配置を「長崎→佐賀→福岡でシュガーロード」という覚え方をしたことと、ポルトガル史をちまちま追いかけている最中だったため、視界に入った本。本の内容は概ねタイトル通りなのだが、本の説明書きがあったものをそのまま引用すると『歴史研究者が、料理に関わる史料を丹念にたどり、日本人と砂糖の出合いから、さまざまな料理に砂糖が利用され、受容されてゆくさまを描き出す。』となる。

全然関係ないんだけど、史学をやっている人は「受容史」という考え方があると古代ギリシャ研究家の藤村シシン先生の動画で聞いた覚えがあるので、この言葉が視界に入った瞬間テンションが上がってしまった。受容というのは、それがどのようにして、その国の人々の文化として受け入れられたか?みたいな歴史だったような気がする(とても浅い知識)

本を読む前に、癖で「なんとなくこんな感じの内容かなあ」と、いつもうっすら想像しているのだが、今回は次の通りの予想しかできなかった。

・南蛮貿易で大量に入ってきたはず(シュガーロード)、そのあたりから庶民に流通したと思う
・とはいえ砂糖の糖は中国の唐に当たるので、それより前に中国から仕入れていたことはあったはず、おそらく当初は薬として用いられた。
・沖縄でサトウキビをめちゃくちゃ作ってる印象がある。琉球国からも入ってきた?

では読むか!いざ鎌倉!

砂糖の日本史 / 江後迪子

初っ端から「鑑真が砂糖を聖武天皇に献上し、それが正倉院文書に記載されているのはよく知られた史実である」とあるが、知らないが?そしてまた出てきたよ鑑真!砂糖の糖は、唐の字があるから中国由来ではあるんだろうなと思ったけれど、またここで出で来たか鑑真!私が読む本の中で、柳田國男先生の次くらいにエンカウント率が高いのよ。

日本における砂糖の歴史は、ざっくりと次のとおり。

▼日本の砂糖

・砂糖は中国から伝播したと思われる。鑑真や遣唐使の経由。正倉院の献納リストに砂糖(蔗糖)の記録が残っている。この時代の砂糖の価値は、めちゃくちゃ高い。(西暦825年くらい?)
・勘合貿易で継続して中国から輸入。
・江戸時代に入ると南蛮貿易が始まり、大量に輸入が可能になる。南蛮菓子の普及。
・砂糖の生産については、外国からの輸入に依存するのではなく、国内生産に切り替えようとしていたのだが、日本の気候や土壌はサトウキビなどの砂糖の原料となる植物の育成に向いてないっぽく、何度も育成試しては頓挫している(砂糖の原産地は、インドまたは南太平洋諸島といわれているようなので、さもありなん)。国産の砂糖が作られたのは1620年、直川智という人が中国に渡って製糖技術を学び、ショ糖の苗を持ち帰り、黒糖を作ったとのこと(ただ国産とはいうが、この時代、沖縄は日本ではない。あとやっぱ砂糖の原料は暑いところじゃないと育たないのかなという印象)

▼砂糖周りのメモ

・砂糖以前に普及していた甘味は、冬のツタの樹液を煮詰めた、非常に手間のかかる「甘葛煎(あまづらせん)」というものだった。『枕草子』に「けずり氷にあまづら入れて」という記述がある。(枕草子は西暦1000年くらい)
・ミツバチから作る蜂蜜という甘味の存在は知られていたが、外国から仕入れたミツバチは日本で繁殖しなかった(じゃあニホンミツバチって一体なんなんだよ!?!?)
・最初の頃、砂糖は苦い薬を飲む時に合わせて使われ、そのうち砂糖餅などの甘味に、茶席に、そして懐石料理に、庶民の菓子に、南蛮菓子に、との広まりを見せた……ということでいいのだろうか?
・豆知識として、卵を食べる文化は、基本的には南蛮菓子の普及に伴ってのことらしい。ふわふわ甘いお菓子にはどうしても卵がいるからね……。それ以前は、『日本霊異記』という書物に「今身に鶏の子を焼き煮るものは、死して灰川地獄に墜つ」とメチャクチャストレートに卵を食うなと書かれていたそうなので、普及していなかったそう。
・徳川幕府が後水尾天皇に「玉子ふわふわ」なる料理でもてなした話が面白かった。玉子ふわふわ!
・南蛮貿易では、ポルトガルなどの宣教師やってきては、甘い菓子で入信を誘ったという。巧妙すぎる……。ギブミーチョコレートの根性がこの時代から植え付けられてる。やっぱ甘いもんには屈するしかないんだなあ。
・全然関係ないんだけど、正倉院の献納リストに「はじかみ」ってあったのだが、はじかみってなんだろう。『ういろう売り』でも「はじかみ」って出てきたよな。と思ってググってみたら、はじかみ=生姜の類だった。甘味に関係がなかった。
・土用の日に食すものといえば、今は鰻が一般的だが、昔は砂糖(氷砂糖)だったらしい。へえ~

以上。途中から、史料で確認できた目録や献立、その解説が大量に出てくるので、ちょっと……割と……けっこう読み飛ばしてしまった。厳密な資料とかには、興味を持って読めるだけの力量が、今の私には無くてだな……。でも基本的に、面白いところだけ読んだから、とても面白かった。楽な方へ逃げるな。