「SF」の記事一覧

わが赴くは星の群

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

紫色のクオリア / うえお 久光

電撃文庫!?電撃文庫を読んだの10年ぶりくらいじゃないか!?
先日の本でクオリア云々の話題が出てきて、それをうっすら覚えている状態でYoutube巡りをしていたところ、急に「紫色のクオリア」という小説をおすすめされたため、興味を持ってKindle本を購入しました。事前情報によると、哲学的なループものという設定とのこと。結論から言うと、メチャクチャおもろい小説でした。一気に読んでしまった。

主人公の女の子には友達がいて、それが紫色の瞳を持つ「ゆかり」という名の少女だった。彼女の目には人はこのように見える。すなわち、ロボットだと。彼女には世界の人間がロボットに見え、どのような性能を持っているかがわかる。あの人はセンサーが優れているから天気予報に優れる、この殺人事件はあの人にしか出来ないやり方だ等。それのみならず、彼女は壊れたプラモデルを直すように、人間を直すことができた。彼女の紫色の瞳にはこう見える。そう見え、そう感じる。シュレディンガーの猫のように、不確定な全てを、彼女はその瞳の目で見て感じたクオリアで確定する。そんな彼女の目には、主人公は「汎用性に優れた適応能力のあるロボット」に見えた。
しかし、彼女・ゆかりは「ジョウント」と言う組織に請われて外国に飛んだ半年後、死亡した。憤った主人公は、亡くなった彼女にかつて見出され、与えられた特性と共に追いかけるようになりーーー。みたいな感じ。
哲学的要素もあり、量子力学あり、SF要素あり、だんだん主人公のスケールが宇宙規模になってきたりして、終始目が離せなかった。

知りたかったクオリアの話が根底にあるし、ロボットと人間は何が違うのか?は「われはロボット」で学んだし、ゆかりをスカウトしにきた組織の「ジョウント」は、かの有名なSF小説「虎よ、虎よ!」のジョウント効果からだろうし、今読むからこそめちゃめちゃ面白いのかもしれない。ただ、キャラクターの口調や性格には好き嫌いが分かれるかもしれないな。

虎よ、虎よ! / アルフレッド・ベスター

こんな時のために積んでてよかった。いやー、もう今読むしかない。

25世紀。精神の働きかけだけで空を移動する『ジョウント効果』と呼ばれる精神感応移動(テレポーテーション)の発明によって、人類は黄金期を迎えていた。しかしそれは、富と窃盗、略奪、そして惑星間戦争のきっかけとなる。

ん?と思ったのは『ジョウント効果』、これ科学の発明じゃなくて、一個人による超能力を開花させることだな?てっきり科学的な技術として成立したテレポーテーションだと考えていたから、意外だった。視覚で捉える。精神を統一する。この二つの能力を発展させたものは、誰でもジョウント(テレポーテーションの新語)できるようになるらしい。そして、その体系が確立されてくると、今度はジョウントした連中による窃盗、犯罪、病原菌のばら撒き(銃・病原菌・鉄でありそうなやつ)、輸送の崩壊などなどであらゆる市場と倫理が崩壊の兆しを見せ始め、やがて戦争が勃発した……というところまでがプロローグ。
次の章で主人公の紹介がされるわけだけど、普通に「人間失格の状態」って評価されてて笑っちゃったな。主人公は乗っていた宇宙船・ノーマッドが爆破したため、宇宙空間に放り出されて漂っていて、たまたまやってきたヴォーガ号という宇宙船に助けを求めても無視され、怒りと共に復讐を誓う、と。最近見なかったアヴェンジャータイプの主人公だな。章の始まりで、学もスキルもないみたいなボロクソな評価をされていたが、生き延びて復習したい一心で学習し、試し、前に進んだその男は、やがてとある星の住人に助け出されーーー。みたいなところかな。今日はここまで……と思ったが、助けた連中は主人公・ガリヴァーの顔にとんでもない刺青を施す、ガリヴァーを可哀想に思った瞬間ガリヴァーが女を脅迫した上に手籠にする、ガリヴァーが造船所の宇宙船に爆弾を投げつける、ガリヴァーを捕まえた悪者(?)はガリヴァーに悪夢を見せたり尋問したりで乗っていた宇宙船・ノーマッドの場所を吐かせようとする等等、この主人公がやられたい放題だし、主人公もやりたい放題すぎる。今のところ登場人物みんな頭バーサーカーだが大丈夫か?ハラハラしながらページをめくってしまった。本日は第4章まで。
タイトルの『虎よ、虎よ!』の虎は、顔面にえげつない刺青を入れられたガリヴァーの姿と、その復讐に燃える生き様から取ったものなんだろうな。おそらくな。

我は放つ光の白刃って英文法的だな

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われはロボット/ アイザック アシモフ

読了!

6章の「迷子のロボット」。ロボット心理学の博士の回想、恒星間旅行編。ロボット工学の第一条が正しく適用されていない、政府が極秘に作ったロボットが行方不明になって慌てる話。第一条は「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない。」という重要な前提である。それを無視するような危険なロボットを作るな、なんだ戦争目的か?と思ったが、どうやら、人間が強い放射能が降り注ぐ地域で作業をする際、その生命への危険性を看過できずになんとしてでも連れ戻そうとするので作業が進まない、やむ終えず第一条を緩和したロボットを少数作成したという話だそうな。
それを聞いたロボット心理学の博士は「バカなの?全てにおいて人間より優れているロボットに我々が命令できるのは第一条あってのことでは?」と。この世界のロボットは、劣ったものに侮蔑されたら怒りを感じるという、普通に人間式の解釈をして「理不尽である」ということについては『ならぬこと』なのだと認識を持つことができる。ロボットの自分よりも人間を優先する。明らかに自分より愚かで劣る人間たちを。このロボットは放っておいたら人間に害をなすだろう。どうするか、みたいな話。

第7章「逃避」。ロボットのジレンマの話。人間は不可能に直面すると、幻想に逃げ出す、酒に溺れる、ヒステリーに陥るなどする。ロボットはどうか?ということかな。今回はロボットのブレーンに、人間の生死が絡む問題というジレンマを与える。ロボット心理学の博士と、以前の短編で出てきた男の二人組が同時に出てくる。ブレーンの絡みで宇宙船ごと放り出される男二人。やがてその宇宙船は、人類初となるであろう太陽系の外へと星間ジャンプを始めーー。怖いわ。不安定なロボットが組んだ星間ジャンプ怖すぎるんだよな。

第8章「証拠」。そろそろ本の終わりが見えてきたぞ。前章で超空間ジャンプの方法を確立した人類。その少し後の話。とある一人の男・バイアリイが、実はロボットなのではないか?という疑惑を持たれた。その実態を見抜いてほしいと依頼を受けたロボット心理学者の博士。この行為には政治的な敵対を含んでいるもので、それ自体は馬鹿馬鹿しいと思うものの、ちょっと考え始める博士。もちろん、人間とロボットの体は構成要素が違う。X線で通せば一発でわかる。しかし、心理的、そしてロボット工学的に考えれば、人間とロボットの指向性になんの違いがあるのか?人間は人間、ロボットはロボット。その証左を示すにはどのような考察ができるか、という話かな。ロボットと疑われた男がロボット工学三原則を全て守ればロボットであろうと言えるが、同時に善良な人間も「私(ロボット)は人間に危害を加えてはならない。また何も手を下さずに人間が危害を受けるのを黙視していてはならない」を前提とするロボット工学三原則をすべて守るであろう。ロボットと、高潔な人間は区別がつかない。なるほど楽しくなってきた。この行政長官のロボットができる(?)って話、『ツインシグナル』のカルマの設定だな。古典を読むと漫画の元ネタがわかる、これも面白い。この小説おもろ……。最後の流れがとても良かった。

第9章「災厄のとき」。あれ!?まだ章ある!?前の章で、ページ的にもムード的にも終わったもんだと思ってたが!?
人類最後の戦いの前段階かも見たいな会話が行き交う不穏な流れ。『人間同盟』というロボット不要論を唱える組織がある。科学が発展しロボットが貢献するこの世では、人類は失業もなく、生産に過不足も起こらなくなった。飢餓とかいう言葉は歴史書の中にしかない。このような安寧の世界は続くものである、ただしそれは「マシンが正常に機能する間に限る」。世代が進み、自分達の創造物がもはや理解できなくなってきているのかもしれない。機械が判断を下す材料となるデータの真偽はどのように区別するのか?真実が一部混ざった虚偽のデータを、機械はどのように受け止める?そしてそれが累積していったならば、何が正常の基準になる?そして、その果ての正しさはどこへ向かう?人類の究極的な幸福に何が必要であるか、ロボットたちはそれについてどう考えているか、どのような未来が待ち受けているのか、という話。

最後は一気に読んでしまった。古典SF小説メッチャ面白いじゃん。続編もあるようなので、機会があれば手に取りたい。


全然関係ないんだけど、羽生善治先生の『人工知能の核心』でチラッと出てきた人工知能が描いた創作Aと人間が描いた創作B、人工知能が描いたというだけで創作Aの評価が下がるという現象、これその創作が持つであろう『情報量』の問題なのかな。森博嗣先生のVシリーズに出てくる保呂草というキャラクターが言っていた話だったと思うが、『美とは物体としての絵そのものにはない。それで満足するならその絵の写真でできるはずだ。己は、この絵を描いた画家の生き様の全てが美として絵に焼き付けている』みたいなことをいっていた(うろ覚え)。創作者のバックボーンも含めての「作品」であるなら、ロボットの創作は『化学物質』、人間の創作は『天然物質』に相当するのかもしれない。人間は、人間の生い立ちに関して推察できるその情報量の把握は共感で得やすいが、ロボットの生い立ちに関しては興味ゼロなので情報量的にはそんなに得られないのかもしれない。そういう意味では、ラーメン発見伝の芹沢さんの「やつらはラーメンを食っているんじゃない、情報を食っているんだ」が人間デフォルトなんだなあ、などとYoutubeを見ながら思いました。

何が正しいものかは判断がつかないが、この知識と知識の点を線で繋げた時の気づきが楽しい。


きみは本をつきつける。

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バーナード嬢曰く。6 / 施川 ユウキ

最近本の文字を読む気力を失っているが、読書体験っぽいことをしたい……そうだ!バーナード嬢読もう!ということで新刊買いました。そんな読み方でいいのか?この漫画は、本が好きな高校生4人くらいが延々と読んだ本や読まなかった本について雑談したりしなかったりする話で、私よりも遥かに読んでいる読書好きの男女3人と、私と同じくらい読んでそうな女主人公ちゃんが、読書を題材にあれこれ喋って交流を深めていく流れが好きです。毎回題材にする本のジャンルは小説メインなのかな?これ読んでて思い出したんだけど、そういや私も『三体』積んでたな。

われはロボット/ アイザック アシモフ

上記の漫画のおかげで小説を読む気になった。サンキュー。

2章の「堂々めぐり」。様子がおかしくなったスピーディというロボットを追いかける二人の男の話。
水星の特殊な条件下と人間からの命令がスピーディの『三原則』を狂わせた。ロボット工学の第二条が彼を前に進め、第三条が突き戻す。二つの矛盾をループ処理で繰り返すうち、スピーディはどんどんとおかしくなり、狂ったように遊び始めた。どのような状況や指示を与えれば彼を正常と思われる状態へ戻すことができるのか?スピーディの行動無くしては、人間の男たちはこの水星に生きることは叶わない、さてどうする?みたいな話。面白かった。

今日は2章までにしとくか、と思って本を閉じようとした瞬間に目に入る3章のタイトル「われ思う、ゆえに……」。これはタイトル勝ちでは?ロボットがデカルトするの?もう読むしかねえ。

2章の男二人組が新しいロボットを起動させた。QTモデル、名前はキューティ。キューティは妙に人間めいた神秘的な口調で、組み立てた男にこう告げた。「あなたがわたしを作ったとは、とうてい考えられません。」根拠は直感、という。ロボットが直感を根拠にするの面白いな。このことを「論理的に立証して見せます」とキューティは言う。ロボットは人間を見て、このような柔らかくて脆弱なものが自分のような優れた存在を作ったとは考えにくいと結論を出したらしい。でもまあ、確かに、人間も自分たちのことは(自分より明らかに優れた)神が作った、とするからな。ロボットは、ある条件ではロボットより遥かに劣るであろう人間から我々ロボットが作られた、という前提は間違いでは?と疑うのもわかるよな。だって、神が人間を作ったと思うような人間が組み立てたような存在だからな。同じ結論を出してもおかしくはない。そういうことか〜?と思いながら読んでいたら、『主』の存在を確信したらしいキューティが他のロボットたちにこの『宗教』というシステムを広めて、ロボットたちは仕事をしなくなった。人間は主に逆らう。この神聖を汚す。やがてロボットたちは、人間をコントロールルームから追い出しーーー。もうこの時点で抜群に面白い。最後は君の目で確かめてくれ!(攻略本)

失われた猫 / 森博嗣、佐久間真人

本を開いて右半分が文、左半分が絵という感じの絵本。人間を取り除いた建築物だけの世界に、なんからの使命を帯びて生きる猫たちの話。日本語の下に、読みやすい英語も書かれていて、絵の雰囲気もよかった。『少女終末旅行』みたいな雰囲気が好きなので、それもあって世界観に浸れたのかも。これは前作『猫の建築家』の続編になるのかな。ぼんやり何かを考えたい時に向いているのかもしれない。

ロボット工学三原則 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない

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羽生善治の『人工知能の核心』に出てきた「その芸術を創造したのが人間かロボットかの区別がつかず、またロボットが作ったとわかると評価を下げる人間の性」と、『ラーメン発見伝』に出てきた「大半の客はラーメンの味なんて分かってない。モナリザの贋作を見分けられる奴がどれだけいる?」みたいな話、さては同じでは?(それはどうかな)

われはロボット/ アイザック アシモフ

人工知能やロボットなどの本が続いたことで、「さすがにそろそろ読んでおいた方がいいのでは」という思いが強くなり、手に取った。かの有名な『ロボット工学三原則』で有名な1950年代のSF小説。ロボット心理学を専攻にしている研究者のおばあちゃんがいくつかの昔話を回想しながらインタビュアーに話す形式の短編集で、本日は子守ロボットの話までを読み終わった。1950年に出たSF小説なのに、もうロボットに仕事を奪われることを危惧する市民の心理描写があって、「人工知能に仕事を奪われる!」みたいな考えは70年前から出てたんだな〜ということが大層面白かった。まあでも、かつて産業革命もあったし、機械が人間の仕事を奪うという考えは当然といえば当然か。あとは、ロボット心理学というところで『TWIN SIGNAL』思い出しちゃったな。この小説が元ネタだったんだ。