著名な脳科学者の先生が書かれた本で、雑誌に投稿していたエッセイをまとめたもの。脳にまつわる知見がいっぱい。以下メモ。
外山滋比古先生の『乱読のセレンディピティ』にもあったように、忘れることは悪いことではない。人は高精度の記憶力を捨て、時に混線が生じる不確かな記憶によって、想像力と創造力を手に入れた。何かの能力を失うことで何かの能力を得る、トレードオフの関係にある。また、ずっと同じ精度の記憶を持ち続けることは、過去を現在のままにすることである、と。私はノスタルジーという漠然とした、どこか懐かしいセピア色の概念を思い出すのが好きなので、それは困るな……!と思ったりした。記憶が色褪せるからこそ、情報に遠近感が生じる。覚えておこう。
世界公平仮説。これは散々触れてきた知識だけれど、気がつけば忘れてしまったりするので、もう一度メモ。因果応報、世界は公平であるはずだという前提の認識でいると、よい結果を持つ人はよい努力をしてきたから、悪い目に遭う人は何らかの落ち度があったからということになってしまう。癌にかかる原因の7割は、突然変異でランダムに発生することで、残りの3割がその他の要因によるものだが、直感的には「あの人が癌になったのは、いつも夕飯がコンビニで買った揚げ物とビールだったからだろうな」などと決めつけがちである。満員電車で痴漢にあったのは、被害にあった女性がスカートを履いていたから。事故に巻き込まれたのは、己もよそ見をしていたから。オリンピックで一位になれなかったのは努力が足りなかったから。ブラック企業で社畜をさせられているのは、その人に辞める勇気がないから。こういう判断はとても楽に下せるが、その直感は、因果関係の正しさを保証するものではない。ただ、己が決めつけておけば楽である、いうだけなのだ。と自分に言い聞かせておく。
しかし、直感的に決めることも一概に悪いことではない。スパッと決められる人間の方が、好みが一貫的になり、また利他的になる傾向にある。熟慮すると利己的、自己中心的になりがちで、好みもブレる、というのは面白い。
自分は社会的が高いと思うと、モラルは低くなりがち。私の社会的地位は高くないので大丈夫だろうとは思うものの、この社会的地位が高い・低いは、やっぱ他人との比較から生じるものだろうな。自分より社会的地位が低い人を相手にしたとき、モラルの低い己が表面化しないように、気にかけてはおきたい。
自分と同じような価値観の人を好むタイプの人々がグループを作った結果、どこにも属せない人が生じ、結果として村八分が起きる。同じ志の人と共に生きたいのだ、という暖かい心だけで、悪意なんか全くなかったとしても、そうなることはある。ブラックシープ!
例え同じ報酬だったとしても、全く労力なしに得られる利益より、少しは苦労があってから得た利益の方が価値がある、という基準が生物にはあるようだ。ねこ様は例外。猫はクソ現実主義者なので、労力のない利益を選ぶ。さすが。
DNAは、外部のメモリなんかよりも、よっぽど優れた情報保存媒体であるということに目をつけた人がいる。結構前から技術が確立されていて、情報の復元もできるが、エラーがそこそこあるっぽいので、そこの精度を高めていくのが課題だそうな。エ!?じゃあ全人類の叡智を、最終的に人間個人とマージすることもできるようになる!?(飛躍)
人工知能と人間、得意とする範囲が違うので、別々に何かやるよりもタッグを組んで仕事した方が生産率高いっぽい(バディ!)
人間はD4遺伝子によって、不公平を感じる配分が変わる。そして、その遺伝子による性格は、生まれた時期によっても強弱が変わる。男性は夏季、女性は冬季に生まれた時に影響を受ける。生まれた時期によっても性格が変わるってことは、星座占いというものも、あながち的外れなことではないのかも?というのは面白かった。メモは以上。