前回の続きから。いつも通り本の内容と感想がごちゃ混ぜ。
▼第3章:定量化される関係性
これは大体、章のタイトルでなんとなく察した範囲かも。
デジタルデバイスによるトラッキングデータで得られることは、「可視化」「動機づけ」「監視(パートナーの位置を特定する)」など。また、アニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』で用いられる、人間の心理傾向の計測と数値化を行う「シュビラシステム」、それを使って監視される個人の「犯罪係数」もある、数値化・定量化できることはこのように社会にとって管理しやすい概念になっていく、みたいな話。
言われてみれば、以前読んだ伊藤計劃の『ハーモニー』もそうだったかな。政府改め、生府が普及させている体内監視システム(ナノマシン)を成人に埋め込んで、あらゆる心身の不調をキャッチする、または勝手に医療行為を行う、そして結果をサーバーに送る、みたいなディストピアだったと思う。また、ゲームのステータス「筋力:192」とかも、計量化されて私たちに認識されているな。
▼第4章:測定されるものは管理される
ある人は「文明は、演算操作が考えることなしにできる量によって進歩する」といった。しかしプラトンが記した本の中では、文字は思考力や認知力を退化させるものではないか?と危惧されてもいた。あっ、これゲームさんぽで聞いた「文字は会話をするよりずっと情報量が低くて、だから古代ギリシアの哲学者は文字を信用していなかった」みたいな話だ!
ともあれ、文明が進み、機械化や最適化が進むと、考えなくても良くなる。労力も減り、すべてが楽になる。水を汲むのに半日費やさなくてもよい。蛇口をひねるといったような手軽さで、何も考えずに、大量の結果が得られるのなら、それが一番ではないのか?肉体のや認知の負荷を最小限まで下げつつ、あらゆる成果が手に入る、それが人間が進歩した証では?というのは分かる。
逆に、情報や広告を大量に浴びせ続けられて思考停止になっているのでは?スマホを使うたびに、実家の電話番号を忘れる。己の仕事が電気無しでは成り立たないというのなら、それは己ではなくて電気がやっている仕事だという考えはないのか?と、自らに問うことすらなくなる。生きる意味も誰かに教えてもらうようになる。というのも分かる。この辺りについては、また別途考えるとする。
話を章のタイトル『測定されるものは管理される』に戻して、数値化されたものは管理がしやすい。ただ、それと同時に「測量できるものは管理ができる(分かることは、できるだろう)」と思えば、自己管理からの自己責任といった風潮が日に日に蔓延していくのも止められないだろうし、数値化できるなら効率化を求め、さらに数値は格付けがしやすく、個人のデータはビジネスに飲み込まれ、企業倫理がそれに追いついていないことも考えられる等、本の概要を見て、色々見えるものはあるな……と思わされた。文明速度と思考能力はトレードオフの関係と一概には言えないと思うが、根底に必要なものは、やっぱ人の倫理観ではないか?
今日はここまで!
Togetterメモ。