また滅びかけた世界の物語を手に取ってる!

水色チェックマークのあるタイトル作品のネタバレを含みます

セリー / 森泉 岳

小説っぽい表紙だが漫画。おそらく外の世界の人間は大半が滅んでいるのかな、と推察できる設定で、沢山の本に囲まれて過ごす、一人の男・カケルと女型のロボット・セリーの話。少女終末旅行といい、私は本当に終わった世界が好きなんだな。どんな性癖だ。
最初に出てきた男の寿命と比べてもセリーは長い間稼働が可能で、やがて時代は変わりゆく。変わりゆく中にあっても、セリーにはかつてのメモリーが残っており、男と本の記憶が詰まっていた。いつの時代か、子供に読み聞かせをするようになったセリーはこういった。「わたしの中に大聖堂がある」。
滅びかけた世界と読書が好きな私には、設定がストレートにヒットして、とてもよかった。また、日々男に対して本の読み聞かせるをするセリー、なんかいいな〜羨ましいな〜と思ったのだが、よくよく考えてみれば、私も日々Kindle本をSiriちゃんに読み上げてもらっているので、大差なかったな。サンキュー、Apple。


最近は人参ときゅうりのスティックを間食がわりに食うことが多く、そのため咀嚼のしすぎか顎周りに疲労感を感じており、咀嚼についてググってみたところ、UHA味覚糖のサイトに辿り着いた。

サイトを開くとわかるのだが、ものすごい『いらすとや』の圧。もう日本は骨の髄まで『いらすとや』に乗っ取られとんのよ、企業なんだから予算かけてイラストレーター雇ってもいいだろうに、あれでも『いらすとや』でも複数素材を使うとロイヤリティ契約が発生するんだけ?と一瞬にしてあれこれ考えてしまったが、なんか見慣れた感じから、結局サイトが見やすいんだよな。行政でもめちゃくちゃ使っとるし、フォーマットとして親しみの馴染み方が半端ないのよ。目新しい感は全くないが、もうこれはそういう文化になったんだなあ。
まあただ、どうでもいいようなチラシ広告にいらすとやが使われることが多いので(※個人の感想)、そのせいか反射的に目が滑ってしまった。価値のないこと書いてるんだろうなみたいな思い込みが自動的に働くというか、サイトは見やすいのだが、脳直で数秒見て脳直で閉じてしまった。いらすとやもUHA味覚糖も、全然何も悪くないのに……!


音楽についてはサブスクではなく1曲1曲買い切る派なので、代償として新しい曲に疎いのだが、最近iTunesのランキングを流し聞きしていて「お!」と思ったものがあったので3曲ほど買いました。

  • 心という名の不可解 / Ado
  • 残響散歌 / Amer
  • 朝が来る / Amer

Adoは「うっせぇわ」の歌い手というイメージがぼんやりあっただけなんだけど、『心という名の不可解』のサンプル聞いたら、メチャメチャ骨太に歌うじゃん!好きだな。→コキーン(iPhone課金音)
『残響散歌』めっちゃいいじゃん!鬼滅のOP曲で、こっちの『朝が来る』はED曲?ヴァンパイアっぽいじゃん!一緒に買っちゃお→コキコキーン(iPhone課金音)


最近、少子化についての記事が気になることが多いので、メモ。

少子化の原因は、夫婦となる男女に収入が足りないこと(家族を増やすリソースが足りないこと)が主な原因なのではないか?と言う問題提起もあるが、基本的に既婚者の出生率は横ばいであるらしい。と言うことは、結婚してしまえば、世帯収入が低くても子供の出生率には問題がない(育てていく上で苦労はあるかもしれない。しかし貧困国は割と子供を沢山産むので、収入の低さ=出生率の低さではなさそう)。問題があるのは生涯未婚率、こちらの方ではないか?と言う話を見た。
なるほど。結婚しちゃえばなんだかんだ言って子供を産んでくれる。問題は、まず結婚自体が減っていること。子供を産まない理由はいくらでも考えられるが、そもそも全体として結婚をしない人の割合が増えつつあるし、もっといえば異性と恋仲になること自体も減りつつあるのだから、根本はそこだと。まあ確かに今の時代、恋愛に代わる娯楽はいくらでもあるもんなあ。自由と平等の名の下に、社会から社会性を強要されなくなり、楽園になればなるほど、人は自分だけを見る幸福を手に入れるのかもしれない。ネズミの楽園実験、ユニバース25の動画で見たやつだな。
そして、よき世の中にいれば、その中にある嫌なことは、とてもよく目に付く。子供が生まれること自体はとてもいいことだと思うが、高齢化社会を支えるために自分の子供に生まれてきて欲しいわけではない、という解釈を一度してしまえば、ずっと悪い方の解釈が頭をよぎることになるだろう。

そこからちょっと話は逸れるんだけれども、犬や猫を飼うとき、大半は去勢する。それがマナーとされているからだ。繁殖能力のない飼育用の犬猫だが、そうなってくると、流石にそれだけでは種をつなげることはできない。だから繁殖用の犬猫は別にいて、そこで増やして市場に出回り、経済になる。乳牛や食用豚も同じような理屈で、繁殖は人間のコントロール下にある。逆にいえば、人間のコントロールなしではその種はもう存続できず、自力では生きていけない品種に改悪されつつある。人間用食糧として種を搾取する。人間に飼われた方が幸せだ、と言えるような存在に作り替えており、それをペットと呼んで、愛玩用として存在を搾取する。これ自体については、日々豚肉は食うし、私も猫飼ってみたいなーとは思うので、申し訳なく思いつつも意識的にスルーしているのだが、なんだろう、やっぱ人間は繁殖をコントロールできないこと自体を恐れる傾向にあるのかな。(この辺りはTwitterで見た話を元にしているのでソースは曖昧)

経済市場のために、子供、納税者、猫、犬、豚、鶏、それらが『潤沢』にある状態が望ましいと思うのは、根本的に人間は自分以外を消費の対象に見る視点があって、より良い環境のためにコントロールしていきたいんだろうな(とても当たり前のことだと思う)。出典を確かめていない話を前提にしているので、まあ多分すぐに考えは変わるだろうが、少子化って、やっぱ世界がより善くなったために種族は崩れるのだなあ……つまり、これも『世界が滅びかける物語』なのでは?と思いました。(また性癖の話してる!)

あかね

静岡に住む、30代後半のものです。当時何に興味かあったのかを振り返るとき用に、読んだ本やYoutube動画、考えたことなどを書いていきます。